2020年01月07日

◇僕のミステイク

年も明けて、アーケードのある商店街は、晴れ着姿の若い娘らが多く目
立っていた。この先にある縁結びで有名な神社の帰り道だろう。破魔矢
を手にして明るい笑顔で連れ立って歩いてゆく。
その中を、口元を押さえ青い顔をして必死な形相で走ってくる一人の若
者がいた。行き違う着飾った女性たちは、汚物でも見るように体を引き
振袖の袂を引き寄せる。
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「マスター、美味しいモカミックスを大至急おくれ!」
「そんなものは無い‼」
「エッ?」
「うちのは普通の珈琲だ。特別なスペシャリティコーヒーなど置いてな
い‼置く必要など無い」
「あーあ、注文の仕方、間違っちゃった。僕が悪いんですね。マスター
の美味しい淹れ方で淹れたモカミックスを大至急ください、これでいい
ですか?」
「俺の美味しい淹れ方は余計だ。いつものでいいんだな?」
「はい、ありがとうございます」
「いったいどうした?普通にしてればいいのに。そんなに慌てて?」
「とんでもないことをやったみたいなんです」
「また誰かに迷惑かけてきたのか?何をやらかした、白状しといたほう
がよくないか?」
「取り敢えず珈琲をください。それ飲んでからなら聞かれてことは全部
話します」
「そんなに切羽詰まってるのか。分ったもうできる」
「あーこれだよ、この味」
「どうしたんだ?最初から話せ」
「いえね、うちに保存してた珈琲を淹れて一口飲んだ時、いつもの味じ
ゃなくって、妙にエグミばっかり感じて味覚がおかしくなったのかなっ
て思って確認したっくって…」
「それで?」
「珈琲豆は二日前にここで買ったものだし、昨日はいつも通りだったと
思うし、風邪ひくようなこともしてないからもう判んなくて」
「ドリッパーを変えたのか?それともネル布を新しくしたとか」
「忙しいのにそんなことしません。いつもはコーヒーメーカーです」
「それじゃあ変えようがないな。何か変な水をつかったのか?」
「普通の水道水ですよ?でも淹れるときは絞ってはいけないって言われ
てたんで必要な分だけ淹れたらドリッパーは外してたんです」
「言われたことは守ってたんだな、関心関心」
「でも、今日は途中で電話があって出たんです。そしたらドリッパーの
中が全部無くって…」
「ん、分かった。もう一杯サービスしてやる。飲んでみな」
「??ありがとうございます、頂きます」
「これ、飲んでみな」
「…$*@%#*…これだ!なんでわかったの?簡単にできるの?」
「自分で言ってたろう?絞っちゃダメだって。その結果さ」
「そうか、いつも途中で外してたのに、最後まで落としきっちゃったか
らか。理由も結果も考えないで聞いたことを鵜呑みにしてたから…」
「一つ一つなんでも理由があるんだよ。実証が一番大事さ。その上に発
展があるんだ。人のやった実証っていうのは、本人が推測した結果を裏
付けるものなんだ。本当に信頼できるもの以外は全て検証する位の意気
込みはあっていい」
「人任せはいけないね。やってみるってことが重要だね」
「ちなみに、今回のそれはドリッパーの中に残すものだけだからな。あ
いつは含んだだけで吐き出したものなのに、飲み切るなんて偉いもんだ
なぁ」
「褒めてるんならそこに残してあるモカミックスをサービスしてよ」
「冷めちまったから淹れ直してやるよ」


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posted by 銕三郎 at 22:50| 東京 ☁| Comment(0) | 珈琲症候群 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月30日

◇秘密

マスターが店を開けてから一週間ほどが過ぎた。
この店の営業も通常に戻り、常連客はまた自分の場所で静かに珈琲を飲めるようになったと喜んでいた。
時折、常連客の話題に上がるのがマスターの雲隠れの理由だが、マスターは黙したままだった。

今日はカウンターに年若い常連が座った。

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「マスター、どこ行ってたのさ?」
「あちこちとな。決着をつけるのに時間がかかっちまった…ってなんでお前に話さなきゃならんのだ?」
「僕らだって興味あるさ。マスターが奥さんに逃げられて、戻ってくれるように説得に出かけたってことまでは聞いたんだけど、結果は聞いてないし、なんでこんなに時間がかかったかってとこも疑問だったしね。」
「何の話だ?誰も逃げてないし、追っかけて行ったわけでもないぞ?誰がそんないい加減な情報を近辺にふりまいてやがるんだ?」
「僕は先輩たちが話してるのを傍で聞いてて…。先輩たちは辰蔵君に『おかあさんは今は家にはいないよ』って直接聞いたみたいだったよ。」
「うちのとはこの店を始める前からの約束であいつらが成人するまでは離婚はしないことになってる。別に不仲でもないしな。辰蔵は今回の件は何も知らないよ。おあいにく。」
「なぁんだ、そうだったんだ。じゃあ辰蔵くんは何であんなことを…?」
「多分田舎に同窓会にでも出かけた時にタイミングよく訊いたんじゃないか?あいつなら2〜3日なら生活はできるからお順だけ連れて行ったのかもな。ただなぁ…。」
「ん?聞こえなかったなぁ。何?」
「別に…おまえに話したら商店街中に変な噂が広まるからな。辰蔵は店には関わらないってことだ。」
「あやしいなぁ、マスター何を隠そうとしてるの?」
「大人の事情ってやつだ。出入り禁止にされたくなければこれ以上は聞くなよ、な。」
「ますます怪しい…でも出禁は困るよぉ。」
「大人しくそこで冷めちまった珈琲でも啜っていろ。大人の事情に首を突っ込むんじゃないぞ。」
「もう、解ったから…。本当に冷めちゃってるよ。不味っ…。」

  ◆◆◆◆◆◆◆

「ねえねえ、お姐さん。」
「私に聞かれても知らないわよ。」
「えっ、エスパー?なんで解ったの?」
「あれだけマスターの機嫌が悪ければ、あなたが余計な事を言ったか尋ねたかしかないでしょ?君ならマスターの秘密主義解ってるでしょうが。他に漏らさないと認識している人にしか相談しないし、人間関係だって謎のままよ?私ごときに解るはずないじゃない。」
「そうだね、新作のデザート一つだってお店に出てくるまで誰も知らないもんね。」
「いつか話してくれるのかしら?気になってしょうがないのに。」
「マスターもあ〜ゆう性格だから、必要なければ一生話さないよ。」
「そうよね…。」

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posted by 銕三郎 at 05:14| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 珈琲症候群 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月27日

◇再出発前夜

梅雨の足音も近付いた頃。
しばらく休業が続いていたこの店の前に人影があった。
脚立をたて看板を磨き、電球を拭いて埃を払い付け直す。
シャッターを上げてガラスを拭き、室外機の上に並んだ植木鉢を新しいものに置き換えていく。
そんな様子が商店街のアーケード下からみえたのか、何人かが顔を見合せながら店の方に近づいてくる。

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「マスター、やっと帰ってきたのかい。」
「あ、ああ。いろいろあってな。商店街の皆さんにも迷惑掛けてしまった。すまんなあ。」
「そんなことはいいいよ。それより看板娘には連絡したのか?当初は気丈に若いのとふたりで続けていたんだ。」
「そうだよ。でも仕入れの豆の検品が不安で、しょうがなく一時閉店を決断したんだ。」
「ああ、それは聞いてる。馬鹿な奴だ…十分に鍛えたんだ、自分の舌を信じればいいのに。」
「そんな憎まれ口をきくんじゃないよ、嬉しいくせに。彼女言ってたぞ『せっかくマスターが作り上げた味を私が変えてしまったら申し訳ない。帰ってきた時に居場所がなかったら、今度こそ本当にいなくなっちゃうから』ってな。」
「それでも良かったんだ。オーナーとあいつら二人がいればこの店は大丈夫だってわかってるからな。」
「だがな、マスター。店にとってはそうかも知れんが客にとってはそれじゃ駄目なんだよ。特に若い常連連中なんかにとっちゃ良くも悪くも貴重な先達なんだからな。お前さんの厳しい意見に救われてるんだ。」
「そうそう、姐ちゃんもその口だろ?マスターにそそのかされてこの店に縛り付けられて、男の世話までしてもらって…。」
「おい、それは誤認だと思うぞ。でもこの店とマスターに新しい生き方を教えてもらったんだって喜んでいたのは事実だぜ。」
「そういえばそんなこともあったな。きっかけは俺かもしれんが、そのあと努力したのはあいつだ。感謝されるほどのことはしていない。」
「ふん、照れてるんじゃねえよ。それより営業はいつからだ?みんな待ってたんだぞ。」
「三日後かな?豆の焼きあがりが明日になるからな。また豆屋に無理きいてもらったよ。」
「ということは…マスターのこの後は暇だな。おいお前、姐ちゃんの連絡先知ってたよな。いつもの居酒屋にすぐ来いって言っとけ。おまえは店の予約。若い常連連中はっとお前の息子がわかるんじゃねえか?」
「おう、まかせろ。というより俺が知ってる。俺の店からここは良く見えるから開店したら教えてほしいって連絡先を預かってたんだ。」
「あいつらも気が回るこった。おっとどこへ行くんだ?」
「前夜祭なら勝手にやってくれ。俺には関係ない。」
「そんな訳あるかぁっ!絶対帰さんからな。宴会の場で言訳でもなんでも聴いてやるから。」
「待て、店の準備が…。」
「そんなのは明日でいい。おい縛り付けてでも逃がすなよ。」
「あ……」

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posted by 銕三郎 at 02:35| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 珈琲症候群 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月02日

◇待ち合わせの風景

若葉の緑が眼に心地良い。
もうしばらくは雨空の鬱陶しさに悩まされることも無い今の季節。
日差しは強く汗ばむのだが、ビルや通りを吹き抜ける風はカラリとして、信号待ちで立ち止まった体の表面から水分を奪ってくれる。

昼下がり、休講になったのか常連の女子学生が両手いっぱいに資料を抱えてやってきた。
待ち合わせの時間でも気になるのか抱えた荷物越しに腕時計を覗き込む。
遅れていないことに満足したように微笑むと元気に店の扉を体で押し開けた。

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「マスター、お久し振りです。来てます?」
「おうっ、いらっしゃい。今年度初めてだな、今年もよろしくな。奴なら15分ぐらい前に来たかな。奥にいるよ。」
「ありがとう。いつもどおり早いのね・・・。私はマスター入魂のブレンドを頂こうかな。」
「久し振りに来た時は舌のリセットからって訳だな。」
「そんなつもりじゃないけど。それじゃあよろしくお願いします。」

「おまたせ・・・聞こえてないな、こりゃ。」
「・・・。」
「まあいいわ、本に集中しているあなたを見ているのも好きなの。眼鏡を直す、髪を掻き揚げる、咳払いをする。ページをめくる音だけがひっそり響く。」
「・・・。」
「こんなときは私のことも時間さえも忘れちゃうのね。」
「お待たせしました、ブレンドです。」
「ありがとう。あら、今日はおかし付き?」
「はい。先日あるお客様がお土産にお持ちくださったものです。女性の常連の方におすそ分けしているんです。」
「嬉しい!いいタイミングだったのね。」
「あ、来てたの。ごめん、気付かなかった。ちょっと待って、この本をしまっちゃうから。」
「いいのよ、私も今珈琲が届いたからもう少しゆっくりしましょう。」
「でも、本だけは片付けるよ。なんだか眩しいね。」
「ずっと俯いて本を読んでいたからよ。私との待合せの時間すら忘れて・・・。」
「うん・・・、まだ10分はあるからと思って本を開いたんだけどいつの間にかはまり込んじゃったんだ。」
「いつものことよね。街中で待合せても目印で本を取り出して読み始めちゃうから、私が遠くから走ってきても気付いてもくれない。時間に遅れて来る事はない代わりに出会うまでに時間がかかるなんてちょっと情けない。活字フェチもいい加減にした方がいいよ。」
「そう言われるとちょっと辛い。自分でも困るんで気をつけるようにはしてるんだけど、何もすることがない手持ち無沙汰な時間ができちゃうとつい本を手に取っちゃうんだ。」
「持って歩くのを止めればいいんじゃないの?」
「そ、それは・・・。・・・以前試してはみたんだ。結局手元に本が無いと手近な書店で手に入れようとしちゃって、新たなジャンルの開拓に繋がっちゃうんで逆効果だったんだ。」
「破れたポイ・・・。」
「何のこと?」
「掬いようが無い。まあしょうがないのよね、そんな貴方もひっくるめて好んでいるのだし。少しでも改善の努力をしてくれれば良いことにするわ。」
「ありがとう。それじゃあ今度から街で待ち合わせのときは着ぐるみでも着るようにするよ。」
「言ったからにはぜ絶対に実行してもらうからね。って周りの目なんか気にもしない貴方にとって何てこと無いわよね。それより着ぐるみの入手先の方が気になるし、そのあとどうするのかも気になるわね。」
「そのままに決まっているじゃないか。普通のコインロッカーには入らないと思うよ。着替えだって時間がかかるし。」
「着ぐるみと一緒に買い物・・・食事・・・ライブ・・・ひょっとして私への罰ゲーム?」
「そんなつもりじゃないけど。」
「ああ、もういい!私が見つけるから本を読んで待っていてくれた方が良い!」
「結論も出たし、そろそろ出掛けようか。」
結局こうなるのよね・・・ほれた弱みというか・・・
「ぶつぶつ言っていると時間に遅れるよ。さあ、早く・・・。」

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posted by 銕三郎 at 00:00| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 珈琲症候群 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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