休日の昼下がり。店内には険しい空気がまだ残っている。
カウンターの上には白い粒と水滴が散乱している。残されたカップには半分ぐらいの飲み残しがあり、まだかすかに湯気が立っている。
そばには伝票が残されたままになっている。ここにいた客は会計を済まさず立ち去ったようだ。
「マスター。ほんとにそのまま帰っちゃいましたよ。」
「塩まいとけ。あんなのカウンターに座らせるんじゃねえよ。」
「だって初めてのお客さんだったし、勝手にそこに座ったのよ。でも、水掛けることないじゃないですか?いくら気に入らないこといわれたからって。」
「この店と俺のことをわかってない奴はここに座らせるな。」
「マスターがそんなに怒るなんて・・・」
「誰でも頭の中で考えるだけだったら自由に最高のものが作れるさ。だがな、それが実際にできなきゃ絵に描いた餅なんだよ。」
「わかるけど、他にもお客さんいるんですよ。変な噂が立ったら私のお給料出なくなっちゃう。」
「こんなんで来なくなる客だったら来なくていいよ。俺が信じている珈琲を愛してくれる奴がこればそれでいいんだ。俺の淹れる珈琲を否定したいんなら、俺以上の珈琲を淹れ続ける店を5年自分で営業してから来いっていうんだ。」
「でも、あそこのマスターは怖いって噂が立つのはまずいんじゃ・・・。」
「怒らなきゃしょうがないだろう、店の、いや俺の営業姿勢を批判されたんだからな。あいつが声高に言ってやがった『自家焙煎してないの?』とか『水道水使ってるなんて』とかな、あれは全部正論なんだ。間違いじゃないんだよ。」
「だったら怒る事ないじゃん。今よりもっと美味しくできるんでしょ?」
「自分ひとりが好きに飲むんだったらそれでいいさ。自己満足すれば済むからな。でもな、それを追求するってことはいくら高額になってもいいってことなんだぜ。今より5倍以上になっちまったら誰が店にくるんだ?」
「え?そんなに高くなっちゃうの?」
「たとえばだ。しかもそれは常に同じものにはなってはくれない。当たり前の話だ、元が農作物なんだからな。」
「あたりはずれがあるなんて、はずれの日に来たお客に申し訳ないじゃない。」
「そうさ、毎日同じ味を提供するのがプロの仕事だ。俺は芸術家じゃないから最高のものを1つ作ればいい訳じゃない。昨日・今日・明日、いつも変わらず同じものを出さなきゃいけないんだ、来て頂いたお客様からお金を頂く以上な。」
「高くても美味しくても、いつまずいのに当たるかわかんないんじゃ嫌ね。」
「だから妥協しなきゃならんこともあるってことさ。だが、自分でできることは精一杯やってるよ、俺は。だからこの値段でこの味を維持していられるんだ。」
「もしかして、朝開店前に淹れてくれる珈琲って豆の状態を見る為ってこと?」
「今頃気づいたのか?ひょっとして目覚ましのためと思ってたな?」
「うん。気持ちの切り替えにちょうど良かったから。」
「これだからな。まあいいさ、おいおい味も分かってくるだろうしな。そうだ、今店の中に何人お客がいる?」
「え〜っと・・・3組5人ですね。」
「ブレンドを全員にサービスだ。デミタスでな。今淹れるからカップ温めとけ。」
「マスター気前いい」
「気分悪い思いさせたからな、お詫びだ。お客に伝えといてくれ。」
「は〜い。・・・マスターついでに私にも淹れてね。」


