2007年11月19日

▽オーナーからの宿題

とある平日の夜半、閉店も程近い時刻。
店内にはマスター一人が座席に座っている。ウエイトレスはトイレなどを掃除しているのか姿がみえない。
表の扉を開けて常連の女性がそっと入ってくる。
マスターの姿を見つけるがマスターが気付かないのでそっと近寄っていく。
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「箱のサイズに水周りは変えられないって条件かなぁ・・・。だとしたら・・・。」
「マスター、さっきから何をブツブツ言っているんですか?定規や色鉛筆まで広げて、ポスターでも作るんですか?」
「あぁ?おお、いいところへ来たな。珈琲一杯奢るからちょっと相談に乗ってくれ。ただし口の堅いお前だから相談するんだからな。」
「え?良いですよ。いつもお世話になってるんですから珈琲は自分で払いますよ。マスターの相談に乗れるなんてちょっと気分が良いですもんね。」
「それじゃあ、珈琲を淹れてくるんで待っててくれ。」
「なんでしょう?ワクワクしてきますね。」

・・・・・・・・・

「お待たせ、お前が好きだって言ってたヤツでいいな。ほい、メキシカンホット。」
「うわぁ、ありがとうございます。ブレンドでよかったのに・・・それで、相談ってなんです?」
「ああ、オーナーから『お前の理想とする店のデザイン案』を提出するように言われたんだ。」
「ええ〜?!このお店、改装するんですか?」
「し〜!あいつに知られたらみんなにバレて大騒ぎになる。果ては常連全てを巻き込んだお祭り騒ぎになることは目に見えてるから、誰にも言ってないんだ。内緒だぞ。」
「なんだか機密事項に触れるってどきどき感があっていいですね。」
「多分オーナーは『改装』を目指しているのとは違うんだろうと思っているんだ。」
「そうだとすると、オーナーさんの意図はどこにあると思ってらっしゃるんです?」
「端的に言えば俺の器量を測ろうってことだろうと思っている。」
「器量?どういうことです?」
「多分俺が切り盛りできる店のキャパの大きさを見たいんだろ?」
「それとデザイン案とどう結びつくのかしら?」
「俺は現在こうしてこの店を切り盛りしているわけだが、理想的なといわれたときに俺が描く店のサイズで、今のクオリティを維持したままでの限界点を無意識に考えるもんだと思ったんだろうな。またそれによって何を重視して限界値を出してくるのかも見たいんだと思う。」
「ふーん。オーナーさんとしてもマスターの力量を知っておきたいって訳なのね。」
「この店で俺は本当に好きにやらせてもらっている。ほとんど俺の意向でこの店のスタイルはできているって言ってもいい。実際にオーナーからは『地域への貢献』としての講習会の開催指示はあったが、他には何もない。ノルマすらだ。実際月々の売上目標だって、俺が勝手に決めてるんだ。しかも俺都合の臨時休業も自由なんだ。ある意味俺の理想像以上なんだよな。」
「普通に考えても恵まれすぎた職環境よね。そんな状態なのに『理想』って言われてマスターは頭抱えちゃってるのね?」
「ああ、店の規模が大きければ品質に責任が持てなくなるが、上がりは良くなる。現状より小さくすれば経費をペイできなくなる。収支・品質どの面から考えても今のままの規模がいいんだよな。始める前にその点ではオーナーと何度も徹夜して検討したんだ。だから余計に困っているんだよ。」
「マスターはどう思ってるの?重要なのは品質?売り上げ?それとも他にあるの?」
「売り上げじゃないことは確かだな。珈琲の品質の他に何があるんだ?」
「わたし、なんとなくわかってきましたよ、オーナーの意図。多分問題なのはマスターがそれに気付かないふりをしていることじゃないかなぁ?」
「特に売り上げ落ちているんでもないし、かえって増えているはずなんだ。珈琲豆の検査だって欠かさないし、クオリティの意味でも下がっている訳はないはずだ。なのに何で・・・。」
「オーナーさんは今のマスターに満足されていないんじゃないですか?」
「どういうことだ?俺は手を抜くようなことはしてないぞ?」
「そういうことじゃないんです、多分。マスターってこのお店を始める前にオーナーと随分話し合われたんですよね?」
「ああ、俺の珈琲に対する姿勢から店にかける意気込みまで腹を割って話した。何日もかけてな。その思いは今だって変わらない。」
「その『変わらない』って所じゃないですか?オーナーが気にしていらっしゃるのは。」
「だってなあ、変えちゃったらまずいだろう?」
「そうじゃないですよ。この店をここまでにしたのはマスターの最初の頃の理想だったと思います。でも、オーナーとしてはマスターの目標をもっと上に見続けて欲しいんじゃないでしょうか?この店のことだけじゃなく。」
「・・・」
「こんなにマスターを優遇してくださっているのは、この店を維持するためだけじゃないと思います。そのことをマスターに気付いて欲しかったんじゃないですか?マスターにこの店だけで満足して欲しくなかったんだと思いますよ。」
「・・・だがなぁ・・・。」
「抽出法の講座だってマスターに後継者を育てることを気付いて欲しかったんじゃないですか?マスターに小っちゃくまとまって欲しくないんですよ。」
「ここで俺に何ができるってんだ・・・。珈琲を淹れるしか能はないぜ?」
「オーナーはマスターの次の提案を待ってみえますよ。それがこの宿題の答えですって。」
「そうなのか・・・?それならそれではっきり言ってくれればいいのにな。俺はここを動いちゃいかんと思い込んでたから、この店の改装や近所に移転して店の拡大ぐらいしか考えてなかった。やりたいことはいくらもあるが、手を封じられていると思い込んでいたよ。勝手に枠を嵌めてたんだな。うん、ありがとう。相談してみてよかったよ。」
「でも、マスターがいなくなると寂しいですよ。」
「ふん、俺がこの店を離れるはずがないだろう。ここは俺の城だ、誰にも明け渡さないよ。ただ、手助けしてくれるヤツは必要だな。新しい顔ぶれが入ってきても意地悪すんなよ。俺がしっかり鍛えるんだからな。」
「あっ、マスター元気になりましたね。その勢いでお願いしますね。マスターには途方にくれたような顔は似合いませんよ。」

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posted by 銕三郎 at 00:00| 東京 ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | 珈琲店の常連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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