2008年04月06日

◇噂の女

桜吹雪が風に舞う平日のお昼過ぎ。
今日はマスターが一人で店を営業している。いつものウエイトレスは定休のようだ。
今回は少し華がなく寂しいお話になろうかと思っていると、商店街から当のウエイトレスが少し怒った風情でお店に向かってくる。
勢い良く扉を開けた彼女はびっくりするマスターに唐突に話し掛ける・・・。

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「あ〜、あいつったら本当に腹がたつ。」
「来るなりどうした?今日は休みだろ。ひょっとしてデートをすっぽかされたとか?」
「そんな相手がいれば常連のガキどもにからかわれたりしませんよ〜だ。」
「だったらどうしたんだ?まだ日は高いぞ。さすがに男に間違われて客引きに捕まる時間帯でもないと思うが・・・。」
「どうせっ!メリハリのない体ですよ。可愛らしい衣装なんて持ってませんよ。放っといてください!」
「いや、そんなつもりじゃ・・・。んんん、ちっとも話が進まんな。」
「マスターの応答が今日の私の癇に障るんです。あんなのにまで馬鹿にされて・・・。」
「一体何があったんだ。ちゃんと聞いてやるから、きちんと最初から話してみろ。事と次第に寄っちゃあ、例のあの人にお願いしてやるから。」
「ええっ?そ、そんな大げさな話じゃないですよ。お願いなんかしたら笑い飛ばされてお終いですって。」
「じれったい、何があったんだ。」
「いつも人懐っこく足とかに擦り寄ってくる猫がいるんです。」
「はぁ?猫?」
「半野良の茶寅のデブ猫。商店街を行くと駅に向かうのとは別に病院前に抜ける分かれ道があるじゃないですか、あの先のアパートのあたりにいつもいるんですけど、座った姿が鏡餅みたいなの。」
「そいつなら知ってる・・・それが?」
「言ったとおり、人なれしてるんです。いつもは撫でさせてくれたりするんですよ。それなのに今日に限って・・・。」
「引っかかれたのか?猫にだって機嫌はあるぞ。」
「それならあきらめもつきます。今日のは違うんです。通りかかったらこっちを向いて立ち止まったんです。『ああ、また触って欲しいのかな』って思ったんでしゃがんで呼んでやったんです。6〜7m離れてたんですが、いつものようにのっそりと近づいてきたんですよ。」
「ふ〜ん・・・。」
「あと少しで伸ばした手が触れるってあたりで進行方向を変えて、私の手が届かないギリギリを左のほうへ回りこむように通り過ぎていったんです。私は触ってやろうとして猫の動きに合わせて右手を追うように動かしてるから結局バランスを崩してコロン・・・。」
「ふへっ!・・・ぐふっ!・・・。」
「マスター、無理して笑いを堪えないでいいです。自分でも情けなかったんですから。」
「しかし、猫にまで馬鹿にされるって・・・。どうなってんだ?」
「しかも、助け起こしてくれたのが商店街のお店のご主人、常連の方です。笑いながら『ありゃオス猫だな、ついに猫にまで振られたか』ですって。もうあったま来ちゃって、出かけるのも忘れてそのままここに来ちゃった。」
「ここんとこお前のドジっぷりが無かったからな。久しぶりに笑わせてもらったよ。」
「ねえマスター、口止めしといてくださいよ。商店街の出前できなくなっちゃう。」
「無理だな、既に商店街の半分には伝わっているよ。全部が伝わるまであと1時間もかからんだろうな。」
「ああん、もう最悪!!明日から出前の注文電話でくすくす笑ってたら叩き切ってやるわ!」
「おいおい、店の営業に影響するようなことだけは止めろ!個人の立場でお客に恨み言を言うぐらいは許してやるから。」


「ちわーっス!マスター面白いこと聞いてきましたよ。お姐さんが休みの日まで商店街で笑いを取るために奮闘してたって!・・・ああっ?何でここに?か、勘弁して・・・。」
「いいからここに来なさいよ!で、どこで誰に、どんな話を聞いてきたの?どんな話になっているかわかったもんじゃないわ。正直に話さないと明日から店には入れないからね!」
「わかった、わかりましたよ。襟元の手を離してください。もう、乱暴なんだから・・・。僕が聞いたのは商店街の入り口にあるタバコ屋の親父さんから。無理言って僕のタバコ置いてもらってるからいつも世間話に付き合うんだ。そこで親父さんが教えてくれた。」
「どんな風に伝わってるの?」
「魚を咥えた猫を追っかけてるお姐さんが、商店街の真ん中で派手に転んだって話を聞いたんですって。」
「私がサ●エさんになってる・・・おかしいとは思わなかったの?」
「全然、親父さんもお姐さんなら有り得るって、二人でその図を想像して笑い合っていたんだもの。それにまだ続きがあって、派手に転んだ拍子におパンツ丸見えになってたってね。」
「どこまで尾鰭がついているのかしら。こうやって噂って大きくいいかげんになっていくのね。ほら、よく見て、今日の私はパンツはパンツでもズボンのほう。どうやったら丸出しになるのかしら?ほんっとにオヤジ達スケベなんだから。」
「でも、この時点でタバコ屋の親父のところまで伝わっているとなると、商店街全域にわたって伝わったってことだな。ずいぶん予想より早いな。」
「マスター、感心している場合じゃないわよ。もう、表歩けないじゃない。最近居酒屋で商店街の若旦那さんたちの集まりと一緒になって盛り上がってたのに、元の木阿弥ね。独身でかっこいい人もいたのに・・・。」
「そんなに凹むことでもないぞ。こんなに早く伝わるにはみんながお前のことを知っていなきゃ無理だ。常連さんたちだけがわかっていたってその先には伝わらない。普段のお前を見ていてそんなこともあるだろうなって思わなきゃ情報ソースを信じないし、次には伝えない。お前は愛すべきドジキャラとして商店街のみんなに知ってもらえている証拠だな。」
「そんなことが知れ渡っていたら余計縁遠くなっちゃいますよ。もう・・・。」
「いいや、おれ自身この商店街で『あの子』といわれて『ああ』とピンとくる女性なんて何人もいない。見知っているのは応対がきちんとできて特徴のある子だけだ。店の経営者の眼としては仕事ぶりが気持ちいい子の方が印象に残るんだ。最近になって、営業時間中に買い物に出たりするとお店の女将さん連中が『いいわね、お店放っておいても大丈夫なんて』ってまるで俺が遊んでるみたいに言いやがるんだ。まあ、それだけお前の仕事ぶりは認めてもらえているってことだと思っているがな。それにいいこともあるんだぞ。最近あちこちの女将さんからお前の『プロフィール準備しといてね』って言われてるぞ。」
「そ、それってもしかしてお・・・お見合い?それはちょっと・・・。」
「うちは結婚退職を強制したりしないから大丈夫だぞ。なんなら、今すぐお前の履歴書コピーして渡してこようか?」
「やめてください。いきなりなんですか?そんな反則技。」
「それだけ商店街での評判はいいって事だ。しかも、うるさ型の女将さん達に気に入ってもらえてるんだ。こんな噂は笑って済ませばすぐ消えるさ。女将さんたちが消してくれるよ。」
「今ごろ旦那さんたち怒られてたりして、ね、お姐さん。」
「ま、マスター、お見合いの話、本当?」
「おいおい、そっちに興味津々なのか?半分は本当だ、話半分ってな。」
「ええ〜っ?ど、どうとればいいんでしょう?それって・・・。」
「女将さんたちのおべんちゃらに決まってる。来ることのない『そのうち』だな。」
「マスター、お姐さんの事誉めてるんですか、貶してるんですか?慰めてるんですか、哂ってるんですか?単に楽しんでるとしか思えないんですけど。」
「一言言うたびに顔色がいろいろ変わって面白いだろ。」
「また〜、私で遊ばないでくださいよ〜。もう、いいですから。マスター、休憩できてないでしょ。しばらくみてますからお食事しちゃったら?せっかく私がいるんだからその間に。ほら、あなたは更衣室で私のエプロン取ってきなさい。」
「僕が・・・?お客なんだけど・・・。ちぇ、お姐さんには敵わないな。」

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2008年04月13日

◆応用編 6.アイスコーヒー

毎度お越し頂きありがとうございます。
応用編は「まとめ」で終了し、番外編が既に始まっているのにまた「応用編」と思われていることと思います。申し訳ありません、「基礎編」・「応用編」を通してアイスコーヒーを考慮に入れるのを忘れていました。
多少触れることはあってもきちんとした説明はしていなかったと思いますので、今回はしっかりやっていきたいと思います。

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「マスター、今日はアイスですって?暖かくなってきて丁度良かったですね。」
「ああ、コートなんぞ着ていると汗がにじんでくるな。電車の中は蒸し熱くなってきてるだろう?」
「アイスコーヒーですけれど、以前に淹れて頂いた時、あまり詳しく説明がありませんでしたよね。」
「ああ、あの時は味見のためだけだったからな。その後も寒い時期だったんでアイスを淹れる機会がないままだったな。それでは今日1回で完璧に覚えてもらおう。」
「ええっ?今回だけで覚えろって無理ですよぉ〜。でも、自宅練習するにしても氷が問題になりますね。そうかぁ〜、隠れて自主トレは無理なんだ。わかりました、気合入れて覚えます。」
「やる気は出たようだな。前に一度応用編の3で淹れて見せたことがあったな。それを思い出して淹れてみろ。」
「そうでしたっけ・・・。えっと、豆の量は変わらないはずですよね。ああっ、これじゃない!フレンチローストね。メッシュをずっと細かくしてっと、これでいいわね。それで・・・あの時マスターはガラスのメジャーカップを使っていたわ。」
「よく覚えていたな。うちの場合は濃く落として、氷で一気に冷やすんだ。その際に氷が溶けた分でちょうどよくなるから、氷を溶かす分を見込んで抽出する。1杯分約50ccでいいんだ。」
「では、2杯分で100ccを滴下すればいいんですね。じゃあやってみます。」
「じっくり落とせ。でないとコクも何にもない薄っぺらなコーヒー液になっちまうからな。」
「湯面をあまり上げないで・・・と、こんなもんですか?」
「充分だ。一応50ccづつに分けておけ。片方には加糖するからな。できたらアイスグラスに氷をいっぱいに入れて1度水を通せ。」
「はい、でもなんで氷を洗うんですか?それだけでも溶けちゃいますよ?」
「ストッカーは開け閉めするだろう?その間に埃やごみだって入らないとは限らない。グラスに入れて1度水を通せばそんなものは洗い流せる。追加する分も洗っておけよ。」
「なるほど、カウンターの中は珈琲豆の微粉なんかがいっぱい飛び交ってますよね。グラスの用意ができたら注いでいいんですか?」
「バースプンでかき混ぜながらな。あまりかき混ぜすぎると薄まっちまうぞ。できたらグラスの汗をふき取って完成だ。とりあえず味見をしよう。その間に加糖のやつも作っておけ。グラニュー糖を入れて溶かしてから氷の上から注げばいいからな。」
「はい・・・どうですか?出来のほうは・・・。」
「ん?まだ薄い感じがあるな。冷やすためにかき混ぜすぎなんだろうが、豆の量も少し足りないはずだ。」
「えっ?通常通りではいけなかったんですか?」
「細かく挽くとな、ミル内に残る分が増えるんだ。しかし、ミルを叩いて粉を出すわけにはいかないよな。だから最初から多めに計って挽くようにしたほうがいい。」
「そっか〜、フレンチローストだから軽い上に細かく挽いていてるんで微粉と同じように静電気に捕まっちゃうんですね。あと、この店ではってことでしたが、他の入れ方もあるんですか?」
「ああ、昔から喫茶店では作り置きをして冷蔵庫に入れているな。また、スタンドタイプの系列店でも同様だ。一気に2〜30杯分を淹れて、冷ましてから冷蔵庫に保管する。この方法だと氷の使用量は半分で済むし、提供するのに手間が要らない。」
「そのほうが楽じゃないですか。問題は味?」
「当たり前だ。専門店と言いながら、誰でも提供できる味にしてどうする。挽きたて・淹れたてが一番うまいんだ。作り置いて酸化した珈琲は絶対に出さんぞ。簡単に安定した味が欲しいんならコーヒーマシンを1台入れれば済むことだ。なんならお前の変わりに導入しようか?」
「や、やぶへび・・・?すみません、きちんと修行しますからクビは勘弁してください。」
「おお、それはよかった。機械の調節を毎日続けることになるかとちょっとあせったよ。そんなことに通じるより自分の感覚を磨いたほうがずっと役に立つからな。」
「マスター、ひょっとして遊び相手が欲しいんですか?」
「まあな。仕事は楽しくやらなきゃ続かないぞ。」
「楽しんでるのはマスターだけでしょ。私は下手なこと言ってマスターの機嫌を損ねて仕事を失うことになったらって冷や冷やしてるんですから。」
「今お前をクビにしたら、四方八方から非難が来て大変なことになる。俺の仕事もきつくなるしな。安心していいぞ、オーナーはお前の味方だ。俺がいくら言おうがそれはないよ。俺の方が危ないような気がする今日この頃だ。」
「まさか〜。これ以上からかわないでください。アイスコーヒーの抽出、もう少し練習しますね。ちゃんと味見してくださいよ。」

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2008年04月19日

◇春の嵐は過ぎ去った

日が暮れても寒さを感じることがなくなってきた。
花見の時期は駆け足で過ぎてゆき、今は八重の花が咲き誇っている。
そんな心も体も浮かれてくる時期だというのに、店の奥でどんよりと沈んでいる常連の男子学生がへたり込んでいる。
いつもの相棒はカウンター席から時折心配そうに奥を覗き込む。

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「あいつ、今日はどうしたんだ?店の隅っこであんなになってるキャラじゃないはずだが。相棒のお前なら訳を知ってるんだろう?」
「そっとしておいてやってください、マスター。現実を直視しちゃっただけのことですから。」
「そうか・・・。やっと気付けたわけか。」
「ええ、以前に危惧したとおりの結果で・・・。まったくの『お兄ちゃん』だったそうですよ、彼女の中では。傍から見ている僕にはそうとしか見えないのに、自分で聞かない振りをしていたんですからしょうがないですよ。一歩を踏み出す前に轟沈してるんじゃ慰める気にもなりません。」
「ちょっと冷たくないか?」
「勝手に舞い上がって、思い込んで、その上戦う以前に敗北を認めてるんじゃ何してやれって言うんです、マスター?」
「お前、相当あいつに腹立ててるんだ。ふふん、そうか。これまでも幾度となく諫言をしてきたのにやつは全く聞き入れてなかったってことか。」
「女の子は俺やツレたちとは違うんだっていくら言ってもだめだった。崖っぷちに向けて一直線に進んでいたのに・・・。」
「まあ、いい経験になったんじゃないか?失敗して傷ついて、その中から這い上がってこそ次に進めるんだと思うがな。一般的に同じ年頃では女の子の方が恋愛には長じている。しかし、それに輪をかけたように初心い奴だからな。近づいて優しくされれば舞い上がっちまうのは当然か。」
「これで変な方向に目覚めなきゃいいんですけどね。僕は親友以上の関係に進むつもりはないんで。」
「かれこれ半年以上か?手も出さず、「おあずけ」のままでよく我慢したもんだ。」
「あと2ヶ月で1年になりますよ。結局踏み出さずに終わっちまいやがった。最後ぐらいだめだって解っていても自分の気持ちを伝えてこればいいのに、それもしないで帰ってきたんですよ。もう何やってんだか。」
「お前みたいに世慣れて、自信もある奴とは違うよ。振られて開き直ることもできないんだ。冷静な分析も、損得の計算もない。今が壊れるのが怖いだけなんだな。何回かこんな目にあえば自分がわかってくるし、自己分析もできるようになるだろう。これ一度でってのは無理だろうがな。」
「こんなしんどいのをまた見せられるんですか?あ〜あ、忠告を素直に聞き入れてくれれば少しは楽に終焉が迎えられたのに・・・。」
「それは無理だな。男女の違いよりお前との差を大きく感じているんだ。自分とは目線が違うと思い込んでいるよ。」
「はぁ・・・、きちんとコミュニケーションをとれって言っているだけなんだけどなぁ。」
「できないんだよ、それが。普段のあいつで居ることすらできなかったんだろうな。相手の表情に一喜一憂して、笑顔が続いていれば自分がうまくやれていると勘違いして。」
「何回こんな失敗すれば気づくんですかね?」
「今後のお前のフォローに依るんじゃないか?あんまり見せ付けるからお前の信用が無くなっていたんだからな。その辺を弁えて、なっ。」
「マスターまでそんなことを・・・。後ろ指指されるようなことなんかしていませんよ。俺は合意の上でお付き合いしているだけですから。いいかげん世慣れないあいつが問題なんでしょ?」
「まあな。今回のことから復活したらもう少し理解してくれるといいな、あいつも。」


 

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2008年04月25日

◇新緑を打つ雨に導かれた日

先ほどからポツリポツリと降り始めた雨だったが、突然その量を増した。
路面には徐々に水が溜まりだし、通る車が撥ねを上げ始める。
商店街のアーケードから店までは20mほど。傘がなければずぶ濡れになりそうだ。

人通りが途絶えた中、絶叫をあげながらウエイトレスが傘も差さずに走りこんできた。
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「あ〜もう、降って来ちゃった。連絡をもらった時、商店街のアーケードの下にいてよかったわ。でもどうして?休みの日に呼び出さなくてもいいのに・・・。マスタ〜、タオル貸してくださいよ〜。」
「いらっしゃいませ、お嬢様。こちらのタオルをお使いください。使い終わられましたらお声掛けください、お席までご案内させていただきます。」
「うわ〜っ?なんだこれ?背筋がむづ痒くなる〜。ねえ、マスタ〜、いないの〜?」
「なんだ、騒がしい客だなあと思っていたらお前か。」
「なんだはこっちの台詞よ!呼び出されたから来たって言うのに、いったいどうなっているの?マスターと私の愛の巣はどこに行ってしまったの?」
「お前こそ訳のわからんことを言い出すんじゃない。店の中は特に変わりはないぞ。」
「そ、そいつよ・・・そのおじさん、誰?」
「新人だが何か?今日から来てもらったんだが何か問題があるのか?若いイケメンでなくって悪かったがな。」
「ええ〜っ!問題大有りですよ。純粋な珈琲専門店が執事喫茶になってますよ。お嬢様なんて言われたら恥ずかしくって。ほかのお客さんもびっくりしてたでしょうに・・・。」
「客対応はまだこれからだ。意外にうけるんじゃないか?ここらにはそんな店出店してないからな。しかも本格的にサービスとしての執事業務を学んでいる方だ。付け焼刃じゃないぞ。」
「本物・・・?あなた、そんなキャリアの方がどうしてこんな店で働くことになるのよ。マスターもマスターよ!おかしいでしょ?どこで騙して連れて来たのよ!」
「わたくしがさるお屋敷をリタイヤして、どうしようか迷っているところでこちらの求人を知り、応募させていただいたんです。騙されて連れて来られた訳ではございませんよ、お嬢様。」
「ああ、もう鬱陶しいわね。そのお嬢様はやめて頂戴。」
「では、どうお呼びすればよろしいでしょう?・・・困りましたね。ではマスターさんと同意のご主人様ではいかがでしょう?」
「わたしがあなたを雇っているわけじゃないのよ。もうマスター、何とか言って頂戴。この人と一緒に仕事するなんてぜ〜ったい無理!」
「ああ、どうもそのようだな。せっかく最終選考まで頑張って残ってきたのに・・・。」
「ではマスター、わたくしはもう戻ってもよろしいですかな?」
「ああ、すみません無理言って来て頂いたのにお構いもせず。オーナーによろしくお伝えください。」
「マスターもお人が悪いですね。こんな可愛いお嬢さんを驚かそうなんて。お坊ちゃまに知られたらまた無理難題を押し付けられますよ。」
「そこはできれば内分にお願いします。今日は新人の実地テストの検分に来ていただいたんですから、その報告だけってことで。」
「心得ております。あの子の様子だけをお伝えするようにいたしますから。」
「ありがとうございました。後は私のほうで進めます。」
「では、ごきげんよう。」
「あ、さようなら・・・ってことは、また私をかついだんですか?」
「まぁそういうことになるかな。」
「わざわざ休みの日に雨の中を呼び出してすることですか?ん・・・実地テスト?本物の新人も居るってこと?」
「ああ、今は休憩に入ってる。お前と顔合わせしておこうかと思ったんだ。これまで言わなかったのは、どんなところで働いてたのか言葉遣いがなってなかった。そこで無理言ってしばらくオーナーのところで修行させてたんだ。ものになるかどうかはわからなかったんで、ぬか喜びさせてもと思って黙っていたんだよ。だが、さすが一流の執事さんは違う。サービス業に就く人間としての基礎までみっちり仕込んでくれたようだ。」
「あの人、マジでオーナーのこと坊ちゃんって呼んでたよ?オーナーって家に執事が居るような資産家だったんだ。」
「いや、あいつは『僕がじゃない。僕の生まれた家がそうなだけなんだ、僕とは関係ない』といつも言ってるよ。この店だってあいつが自分の力で稼いだ金から始めたんだ。」
「親には頼っていないって言いたいのね。でも、出発点の違いって大きいわよ。」
「生活の基本レベルの違いって事か?あいつはそれを払拭するためにずっと努力してきた。これからの基盤を固めるためだけに今もあの家にいるのさ。メリットは充分にあるし、自分が我慢すればいいだけのことだからな。学生時代から会社を設立して少しずつ自分の居場所を家以外に作ってきた。俺がそんな頃のあいつも知っているから、俺にだけは無理ばっかり言いやがる、涼しい顔をしてな。」
「昔はマスターが悪さにつき合わせていたんでしょ?でも本当にマスターの周りの昔からのお友達ってみんな立派になっているわね。どうしてこの人だけこんななのかしら?」
「どうせこんなだよ。それぞれに好きなことや自分の夢に向かって目一杯やってきた結果さ。俺はこんながいいんだ。俺だってこの状態を手に入れるのにどれだけかかったか。」
「そうか、みんなマスターの姿を反面教師としている・・・い、痛いですぅ、暴力反対!」
「口の減らない奴だ。ここのところ蒸すから口当たりのいいアイスコーヒーの新アレンジを試飲させてやろうと思っていたんだが・・・。」
「の、飲みます、試させてください。名前はなんて言うんですか?」
「『カフェアイランダー』。炭酸のスパークリング感がさわやかだぞ。」
「えっ?炭酸入りは『アイスコーヒーコンチネンタル』がありませんでしたっけ?」
「ビターズとバニラエッセンスの代わりにコーヒーリキュールを少し多めに使うんだ。珈琲香が立ってなかなかだぞ。」
「じゃあ、飲みながら新人君の帰りを待ちましょうか。」

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posted by 銕三郎 at 00:00| 東京 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 珈琲症候群 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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