2008年06月23日

◇シルバーの輝き

梅雨空は相変わらずどんよりとした厚い雲を抱えている。
通りのあちこちにアジサイが紫色のグラデーションを誇らしげに広げている。まだ梅雨明けまでは半月ほどかかるだろうか。

ランチタイムが終わった店内にはマスターの姿は見えず、カウンターに積まれた食器を前に二人が手を休めることなく作業を続けている。
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「ちょっとぉ、手が遅いっ。作業手順の構築もあなたの仕事よ。」
「す、すいません。お姐さん、何を先にすればいいのかさっぱりわからないんですけど・・・。」
「いい?この場合は『シルバー類』の拭き上げが最優先。ティースプーンが足らないって言うから、わざわざ最後に全体にお湯をかけてあるの。冷めないうちに拭かないと意味がないでしょう?」
「ええっ?そうなんですか?自然乾燥させるのかと思ってました。」
「何言ってるの?スプーンの裏側とかケーキナイフの刃の部分に水玉模様が残っていたら嫌でしょう?大半の水分をタオルで拭き取って、残ったのを自分の温度で飛ばすの。乾拭きもしたほうがいいけど、忙しい時はここまででいいわ。」
「その次は?」
「シンクの中に置いておくと危険なグラス・ゴブレットなどのガラス器ね。でも拭かないでね。タオルの繊維がいっぱいついて洗い直しをしなきゃなくなるから。乾燥台の上に並べておけばいいわよ。乾いたら水気を吸っていないタオルで口元だけ拭って後ろの棚にしまって頂戴。」
「わかりました。じゃあこのもう片方のシンクに入っているカップやソーサーは後回しでいいって事ですね。ガラス器の次は高級そうなカップセットでいいんですよね。」
「正解。理由は簡単、高級なカップたちは傷がつきやすいのよ、覚えておいてね。それに数が少ないの。足らなくなってから洗ってるんじゃだめよ。数に余裕のあるレギュラー用の厚手のカップやソーサーは落ち着いてからでもいいわ。」
「ランチタイムってプレートもよく出ますよね。数は十分あるんですか?」
「そうね、こればっかりは足らなくなってから必要な分だけ洗っているわ。洗った後も場所をとるから一辺に洗いたくはないの。でも、これはホールの人の協力しだいね。手が空き次第に洗ってあるものを拭いてくれれば、まとめて洗っても場所に困らないから。」
「そんなことを言ってまたハードルを上げるんですね。意地悪なんだから。」
「違うわよ、ホールの人が店内の様子を見て自分の仕事を決めてくれるようでないと、私じゃ指示出してる余裕がないからよ。マスターなら店中の動きを察知してるけれど私はまだまだだから君の協力は不可欠なの。私が珈琲の抽出にしたって、店内への気配りにしたって未熟なせいで、君にもお客様にも負担をかけてるわ。」
「そんなこと・・・。僕なんかマスターの視線の意味が読み取れなくっていつも迷惑かけてますもん。お姐さんはよく『灰皿』なのか『お冷』なのかの区別がつきますね。」
「ああ、あれは慣れよ。よく来てくださるお客さんなら傾向はわかるし、出したメニューからも推察しているわ。マスターの視線は注意のシグナルしか送っていないわよ。」
「へぇ〜、マスターが信頼しているだけありますね、勉強になります。そこまでになるにはどのくらいかかりました?」
「珈琲の知識を放っておいたから胸張っていえないけど・・・。そうね、3ヶ月ぐらいでマスターの指示なしで動けるようにはなったわね。その後も失敗は数知れずしているけど。」
「ええっ?あと1ヶ月で僕もそこまで動けなきゃいけないんですか?」
「そんなことないわよ。そりゃあできるようになってくれるのに越したことはないけど、この仕事って向き不向きがはっきり出るし、私の頃とはお店の状況も違うからあせんなくっていいと思うわよ。マスターにも『変に癖がつかないようにのびのびやらせてやれ』って言われてるしね。お客様第一でじっくり覚えていってくれればいいのよ。」
「そんな風に考えちゃうと、緊張感が薄れて成長しなくなりそうなので、やっぱり目標があったほうがいいですよ。よ〜し、あと1ヶ月でマスターやお姐さんの足を引っ張らないまでにはなろう!」


「マスターやオーナーが彼を採用したわけがなんとなく解った。きっと彼は次へのステップアップを目指すわね。この店にずっといるべきじゃない。多分あの子に対してオーナーとマスターは次の何かを画策しているわね。そしてこの店は次の展開までの教習所の位置づけなのね。いいわ、お手伝いしましょう。私だって彼がどんな風になるか楽しみだもん。」

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posted by 銕三郎 at 00:00| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 珈琲症候群 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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