2008年09月21日

◇画廊に掲げられた絵

台風が過ぎた。
強い風雨にさらされた商店街は総出で清掃を行っている。

清掃の手伝いに出ていたウエイターが首を傾げながら帰ってきた。
制服に着替えた彼は、カウンターでグラスを磨いているマスターに恐る恐る問いかける。

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「マスター、ちょっと前から気になっていた事があるんですけど、お聞きしていいですか?」
「うぅん、なんだ?坊や。」
「坊やって…もういい加減名前で呼んでくださいよ。しょうがないなぁ。この商店街にギャラリーがあるじゃないですか、よく写真家の方が個展を開いている。あそこの店頭に飾られている絵ってずっと変わってないですよね。どんな作家が個展を開いてもあの絵だけは変わらないんですよ。なんでかなぁと思っていたんです。それとあの絵のタイトルが小さく下につけてあったんですが、『コピ・ルアック』って何なんでしょう?」
「おまえ、映画とか見ないのか?少し前にやっていた『かもめ食堂』って映画の中で珈琲を淹れるときに呪文のように唱えていたのがそれだ。」
「はあ…。それで結局それって何なんですか?」
「珈琲屋に勤めていてそんなことも解ってなかったのか?幻って言われるようなプレミアム珈琲の名称だよ。これだけ流通が発達した現代でも珍しいほど流通量が少ない。」
「珈琲豆の名前なんですか。美味しいんですかって聞いてもいいんですか?」
「さあな、俺は飲みたいと思わなかったから入手なんて考えもしなかったよ。」
「えっ?珈琲には目がないマスターにしては珍しいですね。美味しくないことが解っているんですか?」
「いや、単に飲みたくないだけだ。どんな豆だか知ったらおまえだってどう思うかな。」
「そんなに変な豆なんですか?遺伝子異常で重合体とか、納豆のように糸引いてるとか。変な豆なんですよね。」
「さすがにそこまでではないが、知ってるか?珈琲の実には果肉があるってこと。」
「それぐらいは知っていますよ。赤い綺麗な実ですよね。でも果肉は全部捨てちゃうんでしたよね。」
「そうだ、果肉の中のパーチメントのその中にある種が必要なんだ。このパーチメントを取り出す工程に乾式と湿式がある。ただもう一つ特殊な方法があるんだ。」
「ああ、前二つは知ってます。機械で果肉を取った後パーチメントの外に付いているペクチンを取り除くのに、ブラジル中心に行われている天日乾燥と他の地域出行われている発酵槽と呼ばれる水槽につけるのが湿式のことですよね。両方をうまく融合させて行う地域もあるって聞きました。でもそれ以外って?」
「コピ・ルアックのコピは珈琲のこと。ルアックはジャコウネコのことだ。こいつは熟した珈琲の実の果肉を好んで食べる。だが固いパーチメントは分解されない。すると…?」
「え〜、ひょっとしてフ●の中なのかな?わかりました、マスターが飲みたくないって感じるのが。」
「そんなものを見つけるだけでも大変な作業だ。まず飲めるなんて考えた事がすごいとは思う。」
「ジャコウネコが食べられるってことは、まわりで珈琲の栽培はされていてふんだんにあるんじゃないですか?わざわざフ●の中から探さなくっても良さそうなのに。」
「植民地時代、珈琲は貴重な収穫物だ。全て支配層に取り上げられてしまっていたからそうでもしなければ自分たちの飲む珈琲を確保できなかったんだろうな。」
「なるほど。希少なのはわかりましたが美味しいんですか?」
「味は知らんと言っただろ、飲んで無いんだからな。だが値段は半端じゃないぞ。」
「そんなに高いんですか。美味しくなきゃ嫌だなぁ。」
「以前は生豆の状態でキロ5〜6万していたが、最近は自然採集だけじゃ無く、農園内でジャコウネコを飼って収穫をしやすくしているのか流通量も増えているから焙煎済みが4万弱ってところか。ずいぶん価格も下がってきた。」
「それでもうちの店のレギュラーブレンドの7〜8倍はするじゃないですか。お店で提供したら頼む人なんかいませんよ。」
「その辺の感覚はお前の方がしっかりしてるな。あいつなら自分が味わうまで『置いたらどうですか?』ってしつこく言ってくるだろう。採算って言葉は頭の隅にも無いからな。」
「でも、あの画廊はどうして…?」
「飲みたがってるのさ。あの映画の前からずっとな。俺の店で飲むまではアレを飾っておくんだって言ってたよ。自分で豆を通販で買ったって、本当にいい豆かどうかわからないし、美味しく淹れられる保証はない。俺の目で選んだコピ・ルアックを飲ませてくれってことだ。ま、一生無理だがな。」
「えっ?ああそうか、マスター飲む気が無いですもんね。」
「そういうこと。ちゃんと言ってやっているんだがな。」
「期待しないで待っていらっしゃるんですよ。僕、あの絵好きだからこのままでいいんじゃないですか?」

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posted by 銕三郎 at 00:00| 東京 ☁| Comment(14) | TrackBack(0) | 珈琲症候群 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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