2009年05月07日

◇三万の力の結晶

見る人のいない植え込みにツツジが大きく花を広げている。
ゴールデンウイークの真っ最中、都心からそれほど遠くないこの商店街は人通りもまばらになっている。近隣の住人の大半はこの地に留まっていないのであろう。観光地でもないこの地域はこの時期、人気(ひとけ)がまばらになる。

いつもの若い常連客が紙袋を大事そうに小脇に抱え商店街の方からやってきた。
カウンターのいつもの席に腰掛けると紙袋から小さな瓶詰めを一つ取り出した。他にも入っているようだが重要なものはそれ一つなのだろう。

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「マスター、昨日海外から帰国した友人からお土産だって貰ったんだけど、これなんだと思う?正体がわからないと不安で落ち着かないんだ。」
「ああん?俺のところに持ってきたって事は一応食い物なのか?」
「うん、味わってくれって言ってたんだ。」
「よく見せてみろ。壜にパッケージはなかったのか?ラベルもついてねぇじゃねぇか。」
「配るために大きな容器から小分けしたんだって言ってたよ。」
「味見してみるまで内緒って事か。それなら多分・・・。まあ蓋を開けて試してみるんだな。ほら、スプーンは貸してやるから。」
「え〜っ?このまま味見すんの?これ、ねっとりしてるけど火、通さなくて大丈夫?」
「馬鹿野郎!せっかくの珍しい蜂蜜なのに火なんか通したらもったいないだろう。」
「えっ?ハチミツ?だってこんなに赤黒いよ。ハチミツってもっとほら、黄色じゃん。」
「いわゆる単花ハチミツってやつだ。この色だとソバかベニバナってところだろうな。俺も写真でしか見たことがないんだ。お前が貰ったものを先に味見するわけにもいかんだろう?さっさと掬って舐めてみろ。」
「はいはい、マスターの好奇心を刺激しちゃったってわけですね。それじゃあ信用していただきます。・・・うん、確かにハチミツだね。普段のとは違って何だか口の中に残って広がる・・・でも、ちょっとエグ味がありますね。」
「どれどれ、俺もご相伴っと・・・そうか、こんなに違うものなのか。だがこのクセでは珈琲・紅茶にはちょっと合わせられんな。」
「ねえ、マスター。さっき単花ハチミツでソバかベニバナって言ってたけど、どういうこと?」
「ハチミツには食品表示上の約束がいろいろとあってな。まず大きく3つ。「天然」と「精製」と「加糖」に分かれる。添加物があるものは混ぜ物が入っていることを正しく表示しなければならないんだ。「天然」だけが「はちみつ」と表示することが許されているんだ。「精製」は「天然」のものを食べやすく調整するために色や匂いをとった物。「加糖」は字のごとく糖分を加えて調整したものになる。そしてその「天然」のものも2つに分かれる。これが「単花」と「百花」だ。「単花」は字のごとく一種類の花の蜜から、「百花」は花の種類に制限がないものになる。だからこのハチミツは「単花」のしかもミツバチがソバの花からだけ集めたものなんだと思われる。」
「ソバの花だけって・・・選んで集められるものなの?ミツバチって1つの巣箱に3万匹ぐらいいるんでしょ?」
「そこは蜂の習性をうまく活用しているんだな。詳しいことは俺に聞いたって無駄だぞ。前に読んだ事があるって程度の知識だ。」
「ふ〜ん、それじゃあいろんな味のハチミツが花の数だけあるってことだね。」
「どうなんだろうな。蜂が採蜜する時期もあるからな。」
「それでも自分にあったハチミツが他にもあるかもしれないんだ。」
「それは違いそうだな。家ではチューブに入った安物のハチミツしか使わない俺が言っても説得力はないが、どちらかというと使い道に由るといったほうがよさそうだな。」
「??」
「パンにそれもトーストに合う物やコールドドリンクに合うもの、食べ物よりも加工品に合うものと様々にあるらしいからな。」
「なるほど、でもマスターがそんなに自信がないんじゃこれ以上は他に頼れる人もいないよ。」
「どうしても知りたいんなら専門ショップがあちこちにボチボチとできているぞ。味見できるところもあるだろう。」
「そんなお店もあるんですね。今度行ってみます。それじゃあ今日は珈琲を二杯いただけますか?」
「誰かと待ち合わせか?だったら相手が来てからの方が・・・。」
「チッチッチ!解ってないなぁ。このままハニーコーヒーを2種類味比べしようって事ですよ。」
「それなら注文はハニーコーヒー1とフレンチブレンド1ってことだな。」
「え〜っ、おまけしてくれても良いんじゃ・・・?ねえねえ、マスターにも味見してもらうからさぁ。」
「わかってるよ、言ってみただけだ。だがこのクセでは珈琲には合いそうにないぞ。」
「それは言いっこ無し。こんな機会はめったにないんだから。」
「お前の好奇心だって俺とたいして変わらんじゃないか。」

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2009年05月16日

◇あやまちの後始末

街路にあるツツジの花も大半が落ち、そろそろ街の空気に夏の匂いが感じられるようになった。日中の街中の気温が30度を超える日が訪れ始めた。
ゴールデン・ウイークも過ぎ、それぞれの学校の授業も本格的に進み始めたらしく、学生の常連客の足が少々遠のき始めた。
夕暮れにはまだ間がある午後、春から予備校に通うようになった若い常連が、参考書が詰まったディバックを肩にして思いつめた顔をしたまま現れた。随分煮詰まっているようだ。
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「おや、久し振りだな、いらっしゃい。待ち合わせなのか?それならボックス席の方がいいのかな?」
「ううん、いつものをカウンターで・・・。マスター、ちょっと相談があるんだ。」
「財布を膨らませる方法と女の口説き方以外なら相談に乗ってやれるぞ、どうした?」
「ううっ、のっけからハードパンチ・・・。絡んでくるんだけど・・・。バイトさせてもらえないかなぁ。」
「いつもの倉庫整理か?無理だな。坊やがマメでな、整理整頓が当たり前になっちまった。綺麗なもんだぞ。」
「いや、そうじゃなくって、半年ぐらい店で使ってもらえないかな・・・?」
「う〜ん、人は足りてるって言えば足りてるんだなぁ・・・。難しい事情がありそうだな。それを聴いた上でなら考えてやってもいい。手が欲しいところに心当たりもある。」
「多分話さなきゃいけないんだろうなとは思っていたんだけど・・・。突然お願いしてるんだから・・・。」
「言いにくいことなのか?」
「いいえ、どっちかって言うと自分が情けないだけで言い出しにくいんだ。」
「お前が浪人したって話ならもう聞いてるぞ。今時そんなことは恥ずかしくないよな。予備校の費用は親持ちなんだろ?特別な補講でも受けようってのか?それだってまず親に相談するだろうな。」
「うん、予備校がらみじゃないんだ。」
「だとすると、あのできのいい彼女がらみか?」
「うん・・・あの・・・。」
「ふ〜ん、まあこれ以上は何も言わんでもいい。だいたい察しが付いた。親にも相談したくないんだな。となると、ここでバイトってのは厳しくないか?」
「確かに・・・いつ親バレするかしれないもんね。」
「そうじゃない。うちのバイト料をコツコツ貯めてたんじゃ間に合わなくなるだろ。」
「そうだ、ボヤボヤしてられないんだった。」
「そういうことならとりあえず必要な額は先に貸してやる。バイト先も紹介してやるから、そこで稼いだ中からきちんと返してくれればいいさ。シフトは土日がフル、平日は夕方から4時間程度でいいんだな。」
「ありがとう、マスター。やっぱり僕は駄目だなあ。」
「バカヤロウ!お互いにまだ社会にも出てもいないのに、そんなところだけ大人になってどうするんだ。責任って物が付いて廻るんだぞ。まずは彼女と一緒に彼女の両親、いや母親だけのほうがいいか、とにかく頭を下げて来い。それが先だ。この先保険やその他の手続きで迷惑をかける事になるんだ。無闇と金だけで解決しようとするんじゃない。親に話すのは嫌がるだろうが、そこを説得して親に正直に話して怒られて来い。その方がお前のためになる。その上で費用の相談をきちんとするんだ。」
「え・・・彼女のお母さんに話すんですか・・・。そうですね、未成年の僕らに責任なんて取りきれないんですもんね。僕がパニクって右往左往したって何にもなりませんね。」
「ああ、未婚・未成年・無職の身分の自分たちがどうするのか、どうしたいのかを良く考えてみるんだな。彼女の意見もちゃんと聞いて二人で結論を出して親のところに行って来い。」
「わかりました。どっちにしろお金は必要になると思うからバイトの手配はお願いします。」
「予備校の勉強はいいのか?」
「もともと夏休み明けまでは小遣い用にバイトするつもりだったんです。目的は違っちゃいますがいいんです。マスターの紹介だったら条件は最高でしょうし、そこで頑張れば同じ頃までに返済できるでしょうからきちんと勤めます。」
「わかった、約束ができるなら金は明日の夕方までに用意しておいてやる。バイトは来週からでいいな。」
「はい、お願いします。さあ、彼女に連絡してきちんと結論を出さなきゃ。それじゃあマスター、ご馳走さま。」
「会計はつけておいてやる。急いで彼女のところに行って来い。」
「いつもすみません。ありがとう、マスター。」

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2009年05月23日

◇新たな訪問者

隣の花壇に紫色の変わった花弁を持つ花が咲いている。セイヨウオダマキというそうだ。キツネノテブクロと共にこの時期はインパクトのある花ばかり育てているようだ。

この季節には不似合いな、襟の立ったウインドブレーカーに細いデニム、ベースボールキャップを目深くかぶり、それに大きなレンズの濃いサングラスといかにもな格好で訪れた客は一番奥のボックス席に落ち着いた。

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「ねえ、マスター。あの、隅に座った男性、どこかで見たことがある気がするんだけど。」
「あぁん?・・・ふ〜ん、まあ誰だっていいさ、この店にいる限りは俺の客だ。くつろいでもらえているんならそれでいい。」
「何よマスター気付いてたんなら教えてくれてもいいじゃない。」
「客に直接接しているのはお前だろ、気付かん方がどうかしてるだろ。」
「でも、この店の場所って有名人がふらっと来るようなところじゃないですよね。まさかこの近辺に住んでるのかしら?」
「そんな詮索はしなくて良し!それより帰る客に注意しとけよ。店を出たところで携帯で連絡するような奴が出始めたらお前にフロアを任せておけなくなるからな。」
「へっ?・・・あの・・・?」
「いいから会計後の客の動向にだけは気をつけておけ。」

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「マスター、先日はありがとうございました。おかげでこの店の中で大騒ぎにならなくて済みました。」
「別にいいさ。俺は店の前に準備中の札を掛けてきただけだ。会計を済ました客がどこから帰ろうが感知しないさ。それよりマネージャーの車、うまく入れたか?」
「大丈夫でした。彼の運転は堅実ですから。それより、聞いていたとおりのお店でしたから安心しちゃいました。」
「聞いていた?誰だ?そっち方面にうちの常連はいないと思ってたが。」
「先日スタジオでエンジニアのA君が教えてくれたんですよ。落ち着いて静かに過ごせる珈琲の美味しい店を探しているって聞いたら即答だったんです。」
「ふ〜ん、Aっていうと・・・ああ、中学の頃からスタジオに出入りしていたあいつか。ふ〜ん、今じゃそんなことをしているのか。」
「あの子が、客バレしたってマスターの眼がある限り店内で騒ぎになることは絶対無いって言い切ってくれたんで来てみたんです。本当にいい店に出会えました。」
「ほう、あいつわかってんじゃねえか。それよりお前さん、珈琲の好みは?」
「苦味より酸味の方が好きですね。喉に通りがいいのがすきですが。」
「ふ〜ん、今時の若い奴らみたいにエスプレッソのアレンジ最高!なんて安っぽいことは言わないんだな。感心感心。」
「当たり前ですよ。僕だってデビュー前は地方の珈琲ショップでバイトしてたこともあるんですよ。家ではドリップで淹れてます。」
「わははっ、面白い奴だな。まあいい、これからもここに来る時は変装なんて面倒なことはしなくていいぞ。それなりの対応はきちんとしてやる。電話してくれれば裏口からの入店も認めてやるからな。ま、この店でできることって言えばこれ位だがな。」
「充分ですよ。少しの時間でも、落ち着いて珈琲の香りに包まれていればリフレッシュできます。」
「ただなぁ、問題点が一つだけ残っているんだ。今日のところは公休だが、前に来たときにウエイトレスがいただろう?あいつがミーハーなんだ。それだけは心に留めといてくれ。あいつにだけは俺の睨みは効かんからな。」
「ああ、あの可愛いお姐さんですか?いいですよそれぐらいは。」
「か、可愛い?やっぱりお前も変人のようだな。口が裂けても直接そんなことを聞かせるんじゃないぞ。これ以上つけあがったら俺の店じゃなくなっちまうからな。」

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posted by 銕三郎 at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 珈琲症候群 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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