2007年05月16日

最終話 閉店

近くの商店街の照明は消された頃。
店頭の看板の照明と入り口のダウンライトが消され、客の姿はない。
モップを手に店内を行ったり来たりしているウエイトレスだったが、バケツを手に入り口から現れ側溝に汚れた水を捨てた。
カウンターの中では紫煙があがり、殺菌用の漂白剤の匂いが漂っている。
レジの金銭を片付けたマスターが再びカウンターの中に戻った。
バケツを片付けたウエイトレスが看板をしまい、シャッターを下ろす。

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「床掃除終わったか?」
「はい。マスターの方はなんか手伝うことありますか?」
「大丈夫だ。じゃあ終わりにするか。最後の一杯入れといたからな。」
「ありがとうございます。でも、お客さんの引けが速かったんで、あっさり終わっちゃいましたね。」
「そうだな。器具の洗浄なんか閉店前に済んじまった。」
「こういう終わり方っていいですよね。」
「ああ。そうだお前、明日の休日どうしてるんだ?」
「えっ?!イヤだなぁマスター。私だってデートぐらいしますよ。」
「そうか、予定があんのか・・・。そしたらこの間お前の休みに手伝ってくれた彼女でも誘うか。今からで連絡つくかなぁ。」
「ええっ!ちょっと待ってくださいマスター。どこか連れてってくれるんですか?」
「お前予定があんじゃないのか?ひょっとして倉庫の大掃除でも手伝わさせられるとでも思ったんだろ。そうゆうときはバイト代増額してるだろうが。嫌な顔すんなよ。まさかデートっていうのも・・・」
「ま、まさかそんな嘘なんて・・・って、ごめんなさいっ!見得張って嘘つきました。」
「あ〜あ〜、もう解ったからせっかく拭いたカウンターに額をこすりつけるのを止めてくれ。」
「じゃあ一緒に行っていいんですね。やった〜。で、どこへ?」
「あのなぁ・・・。ちょっとロシア料理なんかをな、食べに行こうかななんて思ったんでな。ディナーはもとよりランチだって一人で行くのはちょっと・・・って店なんだ。ランチぐらいなら奢ってやれるから、暇そうなお前なら一緒に来ないかな〜と思ったんだよ。」
「暇そうは余計ですけど。でも何でロシア料理なんです?」
「お目当てはロシアンティーだよ。ランチにもついてるって話だからな。うちのを美味しくするヒントを見つけたいからな。」
「やっぱりそんなことなのね。たまにはお店に関係なく出かけたりしないんですか?」
「なんでだ?どこへ行ったって何だって自然と店に結び付けているさ。いいものを見れば余計だな。」
「ふ〜ん、たのしい?そんなんで。」
「この仕事が好きでやってんだぜ。美味しいものを食べたり飲んだりしてる人って幸せそうだろ?それを自分が提供してるって最高じゃないか。そのためには自分が努力しなきゃそんな気分は手には入らないだろうな。」
「そっか。だからマスターはお店が混んでめちゃくちゃ忙しくても、いつも楽しそうなんですね。」
「・・・。そろそろ帰るぞ、明日はどうするんだ?」
「もちろんお供します。ランチなら駅の改札口に10時位でいいですか?」
「ああ、早く着いちまったら近くでカフェにでも寄って珈琲飲んで時間つぶせばいいからな。」
「それじゃあ、お先に失礼します。珈琲ごちそうさま。カップ、シンクでいいですね。」
「おお、お疲れさん。俺もカップ片付けてすぐ帰る。明日遅れるなよ。」
「わかってますって、マスター。じゃあ、おやすみなさい。」

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2007年05月12日

第10話 残された伝票

休日の昼下がり。店内には険しい空気がまだ残っている。
カウンターの上には白い粒と水滴が散乱している。残されたカップには半分ぐらいの飲み残しがあり、まだかすかに湯気が立っている。
そばには伝票が残されたままになっている。ここにいた客は会計を済まさず立ち去ったようだ。

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「マスター。ほんとにそのまま帰っちゃいましたよ。」
「塩まいとけ。あんなのカウンターに座らせるんじゃねえよ。」
「だって初めてのお客さんだったし、勝手にそこに座ったのよ。でも、水掛けることないじゃないですか?いくら気に入らないこといわれたからって。」
「この店と俺のことをわかってない奴はここに座らせるな。」
「マスターがそんなに怒るなんて・・・」
「誰でも頭の中で考えるだけだったら自由に最高のものが作れるさ。だがな、それが実際にできなきゃ絵に描いた餅なんだよ。」
「わかるけど、他にもお客さんいるんですよ。変な噂が立ったら私のお給料出なくなっちゃう。」
「こんなんで来なくなる客だったら来なくていいよ。俺が信じている珈琲を愛してくれる奴がこればそれでいいんだ。俺の淹れる珈琲を否定したいんなら、俺以上の珈琲を淹れ続ける店を5年自分で営業してから来いっていうんだ。」
「でも、あそこのマスターは怖いって噂が立つのはまずいんじゃ・・・。」
「怒らなきゃしょうがないだろう、店の、いや俺の営業姿勢を批判されたんだからな。あいつが声高に言ってやがった『自家焙煎してないの?』とか『水道水使ってるなんて』とかな、あれは全部正論なんだ。間違いじゃないんだよ。」
「だったら怒る事ないじゃん。今よりもっと美味しくできるんでしょ?」
「自分ひとりが好きに飲むんだったらそれでいいさ。自己満足すれば済むからな。でもな、それを追求するってことはいくら高額になってもいいってことなんだぜ。今より5倍以上になっちまったら誰が店にくるんだ?」
「え?そんなに高くなっちゃうの?」
「たとえばだ。しかもそれは常に同じものにはなってはくれない。当たり前の話だ、元が農作物なんだからな。」
「あたりはずれがあるなんて、はずれの日に来たお客に申し訳ないじゃない。」
「そうさ、毎日同じ味を提供するのがプロの仕事だ。俺は芸術家じゃないから最高のものを1つ作ればいい訳じゃない。昨日・今日・明日、いつも変わらず同じものを出さなきゃいけないんだ、来て頂いたお客様からお金を頂く以上な。」
「高くても美味しくても、いつまずいのに当たるかわかんないんじゃ嫌ね。」
「だから妥協しなきゃならんこともあるってことさ。だが、自分でできることは精一杯やってるよ、俺は。だからこの値段でこの味を維持していられるんだ。」
「もしかして、朝開店前に淹れてくれる珈琲って豆の状態を見る為ってこと?」
「今頃気づいたのか?ひょっとして目覚ましのためと思ってたな?」
「うん。気持ちの切り替えにちょうど良かったから。」
「これだからな。まあいいさ、おいおい味も分かってくるだろうしな。そうだ、今店の中に何人お客がいる?」
「え〜っと・・・3組5人ですね。」
「ブレンドを全員にサービスだ。デミタスでな。今淹れるからカップ温めとけ。」
「マスター気前いい」
「気分悪い思いさせたからな、お詫びだ。お客に伝えといてくれ。」
「は〜い。・・・マスターついでに私にも淹れてね。」

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2007年05月08日

第9話 酔い冷まし

一般家庭では夕飯の時間帯。
カウンター席に残されたアイスグラスは汗を大量に付着させている。中の珈琲は2層に分離し、飲まれないまま放置されたことが見て取れる。深い褐色のコーヒー液にも白濁はなく、ミルクすら入れられていないようだ。
それに反し冷タンは空。さっきまで座っていた客は、お冷だけで喉を潤したようである。
その客はウエイトレスに支えられ先ほど店を出たところである。

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「あのお客様の奥様が迎えにみえましたよ。」
「ご苦労さん。奥さん『いつも申し訳ありません』って笑って迎えにきたろ?」
「しょっちゅうなんですか?奥さんも大変ね。」
「月に1〜2度かな。こんな酔い方すんのは。」
「おうちが近いんだったら、まっすぐ帰ればいいのに。」
「奥さんに甘えてるんだよ。迎えに来て欲しいんだな。」
「一体何時から飲んでたんでしょうね。こんな時間に正体不明になるって。」
「多分4時ごろからじゃないか?あの人の業界じゃ多分普通の時間だよ。夜明け前から仕事してっからな。」
「え〜、信じられない。夜遊びできないじゃないですか。私にはできない仕事ね。で、何ですか、その仕事って?」
「市場の仲買人。青果の仲卸つってもわかんねえな。よくテレビで番号のついた帽子をかぶってセリをしてる風景が映るだろ、あれが仲買人だ。」
「へー、てっきりそこらの八百屋さんのご主人が参加してると思ってた。毎日、朝早くから夜まで大変だなって・・・。」
「いい加減にしろよ、ここらだけでも何軒の八百屋があるんだよ。仲卸が大卸からセリで買って小売に販売するんだ。スーパーなんかだって仕入れ方はおんなじだぜ。」
「ふーん。じゃあ普通のサラリーマンになってる学生時代のお友達なんかと呑もうなんて考えたら、翌日は仕事になんないわね・・・。そんな生活イヤかも。」
「下手したら終電なくなる前にもう荷が着いてることもあるからな。おちおち飲んでも居られない。」
「健康の為に早起きをとかいうけど、やっぱり限度がありますよね。」
「でもな、いったん自分の仕事と選んだからは突き詰めてやりたいじゃないか。そして体を壊したりして初めてやりすぎに気づくんだ。俺だってこの店を始める時に考えたんだ。」
「何を・・・ですか?」
「俺が睡眠時間を削れば焙煎もブレンドも全部自分でやれるんだってな。真剣にそう思い込んでた。」
「マスター・・・馬鹿でしょ?」
「言われてもしょうがないな。師匠にも本気で怒られた。」
「当たり前でしょ、体壊してからじゃ遅いわよ。」
「でも、師匠が怒ったのはそこのところじゃなかった。自己研鑽と研究の時間がなくなることに文句付けられたんだ。」
「あ〜あ、弟子も弟子なら師匠も師匠ね。ほんとに馬鹿なんだから。」

 
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2007年05月04日

第8話 変わった出前

閉店時間が近付き、看板に向けられたライトが消されている。店内のお客もまばらで、常連の学生風の連中が固まって話し込んでる以外は、既にカップも下げられたテーブルに2〜3人が座っているだけでこのまま閉店まで立ち上がる気配はなさそうある。
レジカウンターの後ろに設置されたガラス器具。つい先ほどまではガラス管の中を液体が通り移動していたが、今はガラス管の一部がはずされ、残された部分にも液体が動いている様子はない。
カウンターの中では密閉するポットが用意され、出来上がった液体が容器から移し変えられていく。

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「看板の明かり消したんで出前にいってこれますよ。」
「ああ、じゃあすぐ準備する。」
「あのぉ、この事務所への出前のときいつも思うんですが、このポットの中身なんですか?冷めた珈琲みたいなんですけど・・・。」
「そうさ、常温の珈琲だ。お客の注文でな、熱いのは冷めた時まずくて飲めなくなるし、アイスは置いとくと水っぽくなるからいい方法はないかって頼まれたんだ。」
「必要に応じて、注文してくれれば良いのに・・・。」
「この時間から朝までの勤務だそうだ。夜中は持って行き様がないだろ?」
「そうか、だからポットなんだ。でもポットなら熱いままで保温してくれますよね?」
「それがだめなんだ。ついでから冷めるだろ。珈琲が冷めたときの変な味は、脂肪が酸化して起こるんだ。温めると活性化して起こり始める。もともと常温であれば進み具合はそれほど速くない。」
「もともと常温?熱湯で淹れてるでしょ?」
「いいや、この出前だけは毎日注文していただくことを条件に、別途淹れてるんだ。」
「でも、淹れてる姿見てませんよ。いつやってるんですか?」
「きちんと決まった時間で出来るから、朝1番で仕掛けて出前の15分前に落ちきるように調整してある。『水出し珈琲』とか『ダッチ式珈琲』っていわれるやつだ。レジの後ろに置いたんだが、ひょっとしてあれをただのディスプレーだと思っていたろ?」
「お水の力で動く時計?にしては針がないし、変だなって思ってました、なるほど。でもどうしたんです?わざわざ買ってきたんですか?」
「師匠に相談したら『あるから持ってけ』って言われてもらってきたんだ。」
「えっ、師匠って?そんな方がいたんですか?」
「俺にだって尊敬する年長者はいるさ。珈琲に関しては頭が上がらない。」
「お店どこ?行ってみたい。」
「残念ながらお店をやってる訳じゃないんだ。珈琲はあくまで趣味。本業は知らない。若い頃世話になって以来師匠って呼んでる。師匠の影響でこの店始めたようなもんだ。」
「ふ〜ん。で、私にも飲ませていただけますよね、この珈琲。」
「なんだ、飲みたいのか?いつも多めに作っているからいいぞ。出前から戻ってきたら休憩にしよう。ホットでいいか?」
「アイスでお願いします。じゃあいってきます。」
「車に気をつけてな。」

 
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2007年04月30日

第7話 会議の後

閉店時刻まではあと少し。一番奥の4人がけテーブルを2つ付けて使用していたグループが帰った。
話をするのに邪魔だったのか、POPは一箇所に固められてはいるが、テーブルは元に戻され、グラスやカップなどの食器は全て引き上げられている。テーブル表面には汚れがあるものの、掃除に手間取るようではない。まるで、セルフサービスのコーヒーカウンターから客が帰った後のようだ。

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「あーびっくりした。あんなに面と向かって『ごちそうさま』って全員から揃って言われたのってなかったから面食らっちゃった。高校の部活かしら?でもこの近所に高校なんてあったかしら?」
「地元のベンチャーだよ。隊会議だったんだ。」
「???何それ、聞いたことない。」
「ボーイスカウトの高校生世代だよ。土曜の夜に野営場に差し入れに行ってきたんだ。ボーイ隊のキャンプだったんだが、手伝いに来ていたベンチャー隊の奴らから店で会議していいかって聞かれたんで、別に構わないって言っておいたんだ。」
「テントで寝てきたんですか?いいな〜・・・って、あれっ?日曜朝から営業してましたよね?」
「ば〜か、注文があった朝食用の珈琲とパン、それから差し入れのジャムとかを届けるついでに、少し隊長たちと火のそばで話をしただけで、すぐ帰ってきたんだ。店があるのに朝まで付き合ってられるかよ。」
「ふ〜ん、でも高校生になっても保護者と一緒?自分たちだけでいいでしょうに」
「今夜一緒に来てた大人は隊長。部活の顧問みたいなもんだ。自分たちの活動は基本的に自分たちで企画から反省会まで全てを行うんだが、高校生だけでというと保護者が許可しなかったり、施設側から断られたりするんで、安全管理や相談・渉外役として大人の手が必要になるんだ。」
「高校生じゃ世間的にはまだまだ子供扱いされますもんね。」
「でも、馬鹿に出来ないぞ。会議で議長やってた奴、日本の代表として世界会議に出席するって言うぜ。10名ぐらいでいくんだと。」
「へ〜。ボーイスカウトってそんなこともするんだ。」
「盛り場で遊んでるだけの奴らとは違うよ。常に世界が視野に入ってるんだ。」
「あれ?マスターお会計の間に片付けてくれたんですか?」
「いや、最後の二人が会計の間に片付けていったんだ。テーブル拭くのは残しといてもらったからな。」
「こんなに気のつく彼氏だったら楽できるな〜。でも高校生誘ったら条例に引っかかるよね。」
「っとに、そんな冗談はあいつらには絶対に言うなよ。せっかく会議できる場が見つかったのに来づらくなるだろ。それに奴らそんな暇はないぞ。」
「へへっ、高校卒業したら狙っちゃうかもね。」
「おばさんは相手にされないよ。残念だな。」

 
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posted by 銕三郎 at 00:00| 東京 ☀| Comment(8) | TrackBack(0) | 珈琲の存在った風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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