2007年04月26日

第6話 割れたゴブレット

閉店まではまだ随分時間がある頃。
入り口近くの大テーブルに、12個の冷タンと3つの灰皿だけが残されている。相変わらず邪魔にされた中央の花瓶は出窓に移されているが、雑誌などは書架に戻されている。
テーブルの下の床にいくつかの小さな粒が光を放っている。ゴブレットのような薄いガラス器が床で割れた残骸だろう。子供が手をついて這いずらなければ平気な程度であるので、営業中に出来るだけの掃除だけを行った様子である。

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「ありがとうございました。またどうぞ。」
「ん?ああ、連中帰ったのか?」
「もう、疲れるわー。声がちっちゃくて何言ってるんだかわかんないのよ。怒鳴りつけてやろうかと思ったわよ。」
「しっかりわびもいれてかなかったのか?しょうがねえ連中だな、全く。」
「大学生にもなって礼儀ぐらいわきまえてないのかしら。ごつい男の子がゴブレット2つ割ったぐらいでびびっちゃって、固まってるのよ。座席から離れて掃除しやすくしてくれればいいのに。」
「片付けの手際、よくなったな。手は怪我しなかったか?」
「割れたグラスで手なんか切りませんって。心配してくれたんですか?」
「まあな。このあとの営業と閉店作業に差し支えるからな。」
「ひどいっ・・・。なんてね。知ってますよ、カウンターから心配顔で私の手元見てたでしょ。可憐な私に惚れ直した?」
「そんな事いうと、もう少しほめてやろうと思っていたこと忘れそうだ。」
「えっ、何なに?私ほめられるようなこと出来てた?」
「お前はほめると鼻高々に得意がるからな。」
「いいから教えてくださいよ。」
「あのな、今の団体12人だったろ、オーダーが14品。」
「ええ、もっかい言いましょうか?」
「そのことだよ。おまえ、オーダーシート持って行ってないだろ?その上お客さんに確認しないで配膳してたよな?」
「当たり前じゃないですか、最近は聞き返すのも恥ずかしいと思ってるんですから。」
「だからその姿勢がすばらしいって言ってるんだよ。ファミレスなんかじゃ端末使ってその場で入力してるにもかかわらず、オーダーミスしても平気でいるだろ?それに比べたら仕事に対する姿勢は天と地だ。」
「努力してんですよ私だって。そんなに評価していただいているんなら時給上げていただけません?」
「商品の説明もろくすっぽ出来ないのになに言ってやがる。ちゃんと説明できるようになったら考えてやる。」
「けち!!」

 
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2007年04月22日

休 憩 開店前のひと時

シャッターの閉まった店内は、空調の音とお湯が沸き上がるかすかな音しか聞こえない。挽きたての豆の香りがあたりを満たす。一筋の紫煙がカウンターの中から立ち上っている。まだまだ開店時間には間がある。

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「おはようございます。あ〜またそんなところで煙草すってる!」
「いいじゃねえか、換気扇の下だぞ。」
「せっかく挽いた豆の香りが台無しになっちゃう。最近うるさい人多いんですよ。」
「昔からコーヒーと煙草と活字はセットだったんだ。文句言うなら来なくていいんだよ。来てくれって頼んだわけじゃなし。俺の趣味でやってるようなもんだ。いやな奴に付き合って貰う義理はねえよ。」
「またそんなことを・・・誰も来なくなっても知らないから。もうシャッター開けますか?」
「まぁ待て、一杯淹れてやる。そろそろ味を覚えろよ。テストするぞ。」
「頂きます・・・あれっ?」
「どうした?美味しくないのか?」
「いえ、こんなカップありましたっけ?」
「なんだよ。期待したのにカップだけか。普段とは違って豆をふんだんに使ってリッチに淹れたのにな。そのカップは店では使えないご立派なカップ様だ。セットで頂いたんだが、使う機会が無くて展示用に持ってきたんだ。」
「ごめんなさい、味はまだまだわかんないみたい。でも言われてみると香りはちょっと強い気がする・・・」
「ま、そんなもんか。自分の財布で勉強すれば身につくもんだ。客に訊かれて困んない程度には覚えて欲しいからな。」
「は〜い。ごちそうさまです。カップどうしましょう?」
「シンクに置いとけ。シャッターよろしくな、そろそろ時間だぞ。」
「わかりました。」

 
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2007年04月18日

第5話 モーニングの終わり

朝の10時。騒がしかった店内が急に静かになる。入り口近くの広いテーブルから大勢がそろって出て行った。席には読みっぱなしの新聞と漫画雑誌がそこここに放り出されている。
テーブルの上にはアメリカン・マグとトースト用のプレートがそれぞれ6つ。テーブル中にパンくずが散らばっている。中央に置かれていたはずの花瓶は出窓に移されてしまっている。
引いたままの椅子が通行の邪魔になっており、会計待ちをしているお客が顔をしかめている。

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「ねえマスター、開店10時にしません?」
「馬鹿いってんじゃないよ。開店を早くして欲しいって客も多いって言うのに。」
「だって、あの人たち嫌いなんですよ。新聞もってこいだの、煙草の銘柄増やせだのうるさいんですもん。」
「まあ、あんまり癖のいい客ではないけどな。でも、新聞は前の客が置いてったのをさっさと片付けないお前が悪い。煙草は買い置きしておく場所がないからな・・・。銘柄は増やせないことは俺が言っておくよ。」
「隙あらば触ろうとするんですよ!セクハラよ、セクハラ。」
「当初より女性と認められてきたってことかな?最初の頃は小僧扱いだったじゃないか。」
「そうだけど、やっぱりイヤ!ここは夜の店じゃないんだから。」
「わかったから。次回言ってやるよ。それで駄目なら商店会の会長さんに頼んでやるから。」
「商店会の会長さん?どうして?」
「この間来た、黒スーツのおニイさんたちいたろ?あそこのオヤジさんと竹馬の友なんだそうだ。お願いすれば、奴らこの商店街で商売できなくなる。」
「あの人たち、この商店街で仕事してたの?どこのお店?乗り込んで言って文句言ってくる。」
「あれ?知らなかったのか?パチプロだよ。そこのホ−ルが開く直前になるといなくなるだろ?」
「ふ〜ん。やっぱり私の嫌いな人種だったんだ。納得。」
「まともに相手すると頭に来るばっかりだよ。客あしらいの練習だと思って楽〜に応対するんだな。」
「判りました。助けてほしいときは合図します。」

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2007年04月14日

第4話 座席の背に残った汚れ 

窓際の明るい席にカップ2つと冷タンが3つ、そして白いわっかのあとが残った背の低いパフェグラス。テーブルの手前側にきれいにまとめて置かれている。立ち去ったお客は片付ける従業員のことを思い浮かべて、取りやすい位置においてくれたのであろう、気遣いがうれしい。
ただ、椅子の背の上部に小さな手のあとが残っている。アイスクリームのついた手を置いていたのだろう。

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「かわいい子でしたね・・・」
「あれっ?見たことなかったかな。よくきてる常連さんだぞ。」
「ええっ?!覚えてない・・・」
「いつもは2人だけだからな。今日みたいに旦那も一緒なのは始めてかもしれん。」
「ん〜・・・。あっ!思い出したァ!!いつも一瞬でブレンドを飲み終わって、風のように帰っていく奥さんですか?」
「いつも背中にいただろ?ちっちゃいのが。」
「あの子あんなに大きかったんですね。お母さん大変だ。でも、マスターが子供好きだとは知りませんでした。見かけによらない・・・」
「何だと、って怒れないんだ。実はあんまり好きじゃない。物の道理がわからん奴は扱いに困る。」
「さっきのは?十分子供好きに見えましたけど。」
「営業用だ。お母さんにはせっかくゆっくり出来る状態で来て頂いたんだ、味わって飲んでいって欲しかったんだよ。」
「あの子、座席の背ごしにカウンターの中をずっと覗き込んでましたよね。何が面白かったんでしょうね?もしかしてマスターの顔?」
「なに言ってんだよ。普段はお母さんの背中で店の中なんか見れないんだ。ケトルから落ちるお湯の色が変わるだけでも不思議なんだろ?視線はずっとドリッパーに張り付いていたぞ。」
「やっぱり興奮してたのかな、あの子。寄りかかって立っていた背もたれに、アイスの跡がついて、乾いちゃってますよ。急いでふいてきます。」
「えっ?じゃあ店のことはいいから急いで追っかけて、子供の手を拭いてこい。あちこちで触ったら大変だ。子供の服を買いに行くって言ってたからな。」
「い、行ってきます・・・。」

 
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posted by 銕三郎 at 02:13| 東京 ☔| Comment(10) | TrackBack(1) | 珈琲の存在った風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月10日

第3話 静けさの戻ったボックスシート

店内中央辺りにある6人がけのボックスシートにカップセットが交互に3つ。ケーキ皿も同数。どのカップの縁にも口紅がべっとりと付いたままだった。
灰皿は脇にまとめて押しやられ、テーブル中央には蓋が開いたままのシュガーポット。カップの周りにはキャンディーの包み紙や、近所のお店の包装紙が放置され、荒れたという表現が良く似合う風景となっている。
冷タンの水は減ってはいないが、汗も残っておらず長時間が経過したことを物語っている。

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「歯切れ悪いですね・・・」
「何が。」
「いつもみたいに言わないんですか?」
「何を?」
「あのオバちゃんたちいつもじゃないですか。」
「ああ・・・?そうだな・・・」
「もう。一言云ってやったほうがよくないですか?」
「いえるかよ・・・」
「えっ?だって、その筋の人にだってはっきり言ってたじゃないですか」
「あれはな、責任ある立場の人がいるときに、相手を立てて、筋道を通して低姿勢で話をすれば無茶できないことがわかってるからだよ。オバちゃん相手じゃそうはいかない。感情論だけだからな。」
「へぇ〜。」
「それに、あの人たち誰だか知ってるか?この商店街の若奥さんたちだぜ。」
「え〜っ、あれで若・・・」
「しょうがねぇだろ、先代がどこも元気だからなぁ。そんな方たちに店で恥かかそうもんなら、明日からの客足は無残なもんだろうよ。」
「弱っ!」
「その辺が『大人の事情』って奴だな。あきらめてくれ。」
「しょうがないのか〜。」
「おめぇもそのうちああなるんだよ。」
「ふんっ!!」

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posted by 銕三郎 at 16:49| 東京 ☀| Comment(14) | TrackBack(0) | 珈琲の存在った風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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