2007年10月15日

▽常連の壮行会

徐々に日が短くなって来た秋の日。
とっくに閉店時間を過ぎたが、店内からは明かりが伸びている。
荷物を抱えた女性の常連客が慌てた様子で店の扉を開ける。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「みんなまだ居ますか?」
「ああ、お前さんが来るまでは帰らないって奥のほうでとぐろ巻いてるよ。」
「ああよかった。ちゃんとお別れが言えないかと心配していたの。マスターにもご迷惑掛けて済みません。あ、これ石鹸ですけど使って下さい。」
「なあに、いいよ。それより本当に突然だったなぁ。旦那さんの都合だって?最初聞いたときはお前さんのことだ、旦那を単身赴任で放り出すんじゃないかって噂してたんだ。」
「何よそれ、ひど〜い。」
「だって、娘さんのこともあるから、転居なんてましてや地方になんて絶対行かないと思ってたのにな。」
「マスタ〜、私のことどんな風に思ってたのよ!」
「ん?ここでの普段のお前さんを見ていると、田舎暮らしは絶対無理だと思ったんだ。ご近所さんとの濃密な関係は疲れるぞ、お前の性格からしたら・・・」
「それはそうね、すぐに深入りしてなんもかんも背負い込んじゃいそう・・・って何言わせんのよ。」
「そうそう、そんなんじゃあ関西では笑いも取れんしな。」
「あ〜もうマスターったら。私が引っ越すのはお笑いの修行のためじゃないし、引越し先は関西じゃないの。わかってる?私が来なくなると寂しいからって、常連のあの子達みたいなノリで別れの雰囲気ぶち壊さないで!」
「別に、寂しいのは俺じゃなくってお前のほうだろ?お店のマスターってのはな、待つのが仕事なんだ。極端な例を出せば、亡くなったことがわかっている常連だって俺は待ってるんだ。この店の中では普段の生活がどうでも関係ない。この店に一歩入れば俺のリアルなんだ。そしてその「リアル」を共有したいと集まってくるのが常連だろう。」
「マスターのバカ。解ってるわよそんなこと。旦那に付いて行くって決めたのは私だし、娘を説得したのも私なんだからここに通えなくなる寂しさを一番解ってるのは私よ。連中の優しい言葉聞いたらここでの『私』じゃなくなりそうだから、それまではどうしても『私』でいたかったのに。」
「悪いな、ガキ共に頼まれたんだ。連中はお前ほど店の中と外での顔は違わない。これからも連絡を取るにせよ、お前さんの本当の顔を見ときたかったんだろ。飄々と引っ越すことを伝えて帰っちまったからな、この間は。」
「マスター、覚えてなさいね。私は「素」のほうがキッツイんだから。ぜ〜たいお返ししてやるんだから。」
「おっと、それは勘弁しろ。ほら、連中が待ちくたびれてるぞ。早く行ってやれ。」
「なんだか肩の力が抜けちゃった。そうだ、まだ珈琲のオーダーは大丈夫?」
「ああ、うちにないもの以外ならなんだって作ってやる。とりあえず最後だからな。」
「それじゃあ今までの私じゃ絶対に頼めなかった『カフェキュラソー』がいいわ。」
「クールじゃないが砂糖のような甘さではない、今のお前にはぴったりなチョイスだな。爽やかなオレンジの香りもにくい演出だ。」
「私のために遅くまで本当にありがとうございます、マスター。豆の注文は以前に教えていただいたアドレスでよかったんですよね。」
「ああ、OKだ。メ〜ルは気長に待っててやるよ。どうせ引越しでごたついてるんだろうしな。落ち着いたら連絡してこい。引っ越し祝いぐらい贈ってやるから。」
「うん、じゃあ連中に本音でお別れ言ってきます。ほら、もう泣きそう・・・」
「ああ、珈琲はすぐ持って行ってやるからな。」

続きを読む
posted by 銕三郎 at 00:00| 東京 ????| Comment(2) | TrackBack(1) | 珈琲店の常連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月29日

▽NZからの香り

11月も程近い秋の日の午後。
いつもならお昼の後の片付けと夕方に向けての準備に余念のないマスターが、洗い物もせずフィルターの中に量り入れた珈琲の豆を見つめている。
いつまでも片付かないカウンターの中に気付いたウエイトレスが声を掛ける。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「あらっ?マスター、いつもと違う香りがしませんか?」
「チッ!気付きやがったか。ちょっと試しに飲んでみようと思っていたのにな。」
「ずるい、マスター。私にも飲ませてくださいよぉ。」
「最近敏感だな。多少は珈琲の味がわかってきたのかな?」
「食い意地が張ってるだけですよ。でもどうされたんですか?普段はこんなことしないのに。」
「NZのYさんのお土産さ。帰国前に味見して感想を伝えたいからな。営業中にもかかわらず封を開けちまった。」
「マスターも・・・我慢って物がないんですか?とりあえず休憩時間まで待てなかったんですか?」
「だって3袋もあるんだぜ?気に入った豆があったら最後にもう1度Yさんにお願いして少し多めに手に入れたいからな。」
「えっ?最後って・・・Yさん、また別の国に移っちゃうんですか?NZにいらっしゃるうちにって今、旅行費用貯めてるんですよ。向こうでお世話してもらおうと考えていたのに・・・。で、今度はどこなんですか?この前は中東だったんでしょ?このところシンガポールからも連絡して来てましたよね?ひょっとしてそっちに転勤なんですか?」
「いや、帰って来るんだ、東京に。15年ぶりの本社勤務なんだと。随分と箔が付いて帰ってくるんじゃないか?」
「え〜?格好良い〜!それじゃあもう少し頻繁に来てくれるかなぁ。」
「お前、また守備範囲広げたのか?相手にもしてもらえんだろうがな。」
「違いますよ。素敵なCDを紹介していただこうと思って。このお店のBGMもマンネリでしょう?たまにはいいかなって思って。」
「それは駄目だからな。紹介してもらっても自分ちで聞けよ。まあ、これまでよりは来れるだろうな。帰国して、仕事の合間を縫うように通ってくるわけじゃないからな。時間的な制約が少なくなるだろうし・・・っておいっ、俺の作業の手を止めさせるな。きちんと淹れられたら飲ませてやるから。」
「もう淹れ終わったんじゃないんですか?」
「馬鹿言ってるんじゃない。1杯分づつメッシュや注湯方法を変えて一番美味しい淹れ方を見つけなきゃならんのだぞ。ちょっと30分ぐらい放っておいてくれ。」
「お客さん、来ますよ。」
「常連だったら待たせとけ。マスターに怒鳴られるとでも言っておけよ。」
「いいんですか?オーナーに言いつけちゃうぞ。」
「うるさいぞ、静かにしていろ。」
「あ〜あ、もうこうなったら何言っても無駄ね。本当に知らないから・・・。」

続きを読む
posted by 銕三郎 at 00:00| 東京 ????| Comment(5) | TrackBack(0) | 珈琲店の常連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月19日

▽オーナーからの宿題

とある平日の夜半、閉店も程近い時刻。
店内にはマスター一人が座席に座っている。ウエイトレスはトイレなどを掃除しているのか姿がみえない。
表の扉を開けて常連の女性がそっと入ってくる。
マスターの姿を見つけるがマスターが気付かないのでそっと近寄っていく。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「箱のサイズに水周りは変えられないって条件かなぁ・・・。だとしたら・・・。」
「マスター、さっきから何をブツブツ言っているんですか?定規や色鉛筆まで広げて、ポスターでも作るんですか?」
「あぁ?おお、いいところへ来たな。珈琲一杯奢るからちょっと相談に乗ってくれ。ただし口の堅いお前だから相談するんだからな。」
「え?良いですよ。いつもお世話になってるんですから珈琲は自分で払いますよ。マスターの相談に乗れるなんてちょっと気分が良いですもんね。」
「それじゃあ、珈琲を淹れてくるんで待っててくれ。」
「なんでしょう?ワクワクしてきますね。」

・・・・・・・・・

「お待たせ、お前が好きだって言ってたヤツでいいな。ほい、メキシカンホット。」
「うわぁ、ありがとうございます。ブレンドでよかったのに・・・それで、相談ってなんです?」
「ああ、オーナーから『お前の理想とする店のデザイン案』を提出するように言われたんだ。」
「ええ〜?!このお店、改装するんですか?」
「し〜!あいつに知られたらみんなにバレて大騒ぎになる。果ては常連全てを巻き込んだお祭り騒ぎになることは目に見えてるから、誰にも言ってないんだ。内緒だぞ。」
「なんだか機密事項に触れるってどきどき感があっていいですね。」
「多分オーナーは『改装』を目指しているのとは違うんだろうと思っているんだ。」
「そうだとすると、オーナーさんの意図はどこにあると思ってらっしゃるんです?」
「端的に言えば俺の器量を測ろうってことだろうと思っている。」
「器量?どういうことです?」
「多分俺が切り盛りできる店のキャパの大きさを見たいんだろ?」
「それとデザイン案とどう結びつくのかしら?」
「俺は現在こうしてこの店を切り盛りしているわけだが、理想的なといわれたときに俺が描く店のサイズで、今のクオリティを維持したままでの限界点を無意識に考えるもんだと思ったんだろうな。またそれによって何を重視して限界値を出してくるのかも見たいんだと思う。」
「ふーん。オーナーさんとしてもマスターの力量を知っておきたいって訳なのね。」
「この店で俺は本当に好きにやらせてもらっている。ほとんど俺の意向でこの店のスタイルはできているって言ってもいい。実際にオーナーからは『地域への貢献』としての講習会の開催指示はあったが、他には何もない。ノルマすらだ。実際月々の売上目標だって、俺が勝手に決めてるんだ。しかも俺都合の臨時休業も自由なんだ。ある意味俺の理想像以上なんだよな。」
「普通に考えても恵まれすぎた職環境よね。そんな状態なのに『理想』って言われてマスターは頭抱えちゃってるのね?」
「ああ、店の規模が大きければ品質に責任が持てなくなるが、上がりは良くなる。現状より小さくすれば経費をペイできなくなる。収支・品質どの面から考えても今のままの規模がいいんだよな。始める前にその点ではオーナーと何度も徹夜して検討したんだ。だから余計に困っているんだよ。」
「マスターはどう思ってるの?重要なのは品質?売り上げ?それとも他にあるの?」
「売り上げじゃないことは確かだな。珈琲の品質の他に何があるんだ?」
「わたし、なんとなくわかってきましたよ、オーナーの意図。多分問題なのはマスターがそれに気付かないふりをしていることじゃないかなぁ?」
「特に売り上げ落ちているんでもないし、かえって増えているはずなんだ。珈琲豆の検査だって欠かさないし、クオリティの意味でも下がっている訳はないはずだ。なのに何で・・・。」
「オーナーさんは今のマスターに満足されていないんじゃないですか?」
「どういうことだ?俺は手を抜くようなことはしてないぞ?」
「そういうことじゃないんです、多分。マスターってこのお店を始める前にオーナーと随分話し合われたんですよね?」
「ああ、俺の珈琲に対する姿勢から店にかける意気込みまで腹を割って話した。何日もかけてな。その思いは今だって変わらない。」
「その『変わらない』って所じゃないですか?オーナーが気にしていらっしゃるのは。」
「だってなあ、変えちゃったらまずいだろう?」
「そうじゃないですよ。この店をここまでにしたのはマスターの最初の頃の理想だったと思います。でも、オーナーとしてはマスターの目標をもっと上に見続けて欲しいんじゃないでしょうか?この店のことだけじゃなく。」
「・・・」
「こんなにマスターを優遇してくださっているのは、この店を維持するためだけじゃないと思います。そのことをマスターに気付いて欲しかったんじゃないですか?マスターにこの店だけで満足して欲しくなかったんだと思いますよ。」
「・・・だがなぁ・・・。」
「抽出法の講座だってマスターに後継者を育てることを気付いて欲しかったんじゃないですか?マスターに小っちゃくまとまって欲しくないんですよ。」
「ここで俺に何ができるってんだ・・・。珈琲を淹れるしか能はないぜ?」
「オーナーはマスターの次の提案を待ってみえますよ。それがこの宿題の答えですって。」
「そうなのか・・・?それならそれではっきり言ってくれればいいのにな。俺はここを動いちゃいかんと思い込んでたから、この店の改装や近所に移転して店の拡大ぐらいしか考えてなかった。やりたいことはいくらもあるが、手を封じられていると思い込んでいたよ。勝手に枠を嵌めてたんだな。うん、ありがとう。相談してみてよかったよ。」
「でも、マスターがいなくなると寂しいですよ。」
「ふん、俺がこの店を離れるはずがないだろう。ここは俺の城だ、誰にも明け渡さないよ。ただ、手助けしてくれるヤツは必要だな。新しい顔ぶれが入ってきても意地悪すんなよ。俺がしっかり鍛えるんだからな。」
「あっ、マスター元気になりましたね。その勢いでお願いしますね。マスターには途方にくれたような顔は似合いませんよ。」

続きを読む
posted by 銕三郎 at 00:00| 東京 ????| Comment(6) | TrackBack(0) | 珈琲店の常連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月11日

▽梅雨の晴れ間 〜お出かけ日和〜

梅雨入りの声を聞いてから随分たった平日のお昼近く。
外を歩くと雨が降っていなくても、湿気のせいでシャツがしっとりしてくる。
その中を日傘を差して妙齢の女性が店頭を目指して歩んできた。
若奥様がちょっと買い物のついでに・・・といった身軽な装いで進む足取りは軽く、どちらかというと大人の洋猫を思わせる外見からは楽しげな雰囲気が伝わってくる。
店の正面で日傘を閉じ、一息つくと一気に扉を引き開けた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「いらっしゃいませ〜。」
「いらっしゃりました〜。いつもおせわになっておりまんにゃわ〜。・・・あれ、マスター、こけてくれへんの?入りだけは『これでつかみはOKや』と思ってネタ繰ってきたのに・・・。」
「あのな〜。ここは東京、普段メールで俺がのってやってるからって、店頭で突然ギャグをかまされてものれるはずないだろう。一応マスターなんだぞこの店の。しかも、来るんなら来るで連絡してから来い。こっちの心構えってものがあるだろう。」
「こないだの注文メールに『近いうちにお邪魔できるかも(ハート)』って備考欄に書いておいてんけど〜。」
「こないだのっておととい来てたメールかよ!自分でとりに来るとは思わなかったんで豆はもう発送しちまったぞ。」
「大丈夫、そんな重いもの私が持って帰るわけないやん。そんなんはうちで○×ちゃんが受け取っておいてくれるもん。」
「それなら受領印欄にはお前のうちの犬の足型が押されているんだな?よく仕込んだもんだ・・・あああ、ついのってしまった、いかんいかん。それじゃあ何か?こっちで何か用事でもあって、そのついでかぁ?でも、わざわざ寄ってくれるとは嬉しいな。」
「ちゃうよ。今朝、娘たちを学校に送り出したら急に私もどっかに行きたくなって、ふらふらっと新幹線に乗ってしまってん。でもさ〜着いたはいいけど何にも予定してへんから、どっかに行く前にちょっとコーヒーでもと思ってここまで来てん。」
「ちょっと待て、新幹線ってのはふらっと乗るもんでもないと思うぞ。ひょっとして子供たちの下校時間までに帰るつもりか?むちゃくちゃな奴だな。それならコーヒー飲むぐらいの時間しか余裕はないだろ?」
「そう思うんやったら、ちゃっちゃと珈琲淹れてよー。まるっきり気が利かへんねんから。遅いことは牛でもできるよ。」
「はいはい、わかりました奥様。いつも送ってるマンデリンでいいんだな。」
「うん。それで、送ってくれた豆の分も会計一緒にしといてね。サービスもよろしく〜。」
「ああ、わかったわかった。いいからもうおとなしく座ってろ。」


「あっ、行っちゃった・・・。おきれいな方なのになんで・・・?本当に台風のような方ですね。新幹線っていったいどこからみえたんですか?」
「現住所は大阪だよ、いつも豆を送っているのは大阪だったはずだ・・・。」
「マスターの珈琲を飲むためだけに大阪から?それもすごいですね。」
「ばか、珈琲じゃないんだよ。お前の顔が見たくてやってきたんだ。新人が入ったって漏らしたら興味津々なメールが返ってきたからな。たぶん悶々と妄想を続けてて我慢しきれなくなったんだな。」
「うそっ!僕、きちんと挨拶もしていませんよ。申し訳ないことをしちゃったなぁ。」
「いいさ、気になるようならまた飛んでくるだろうからな。でも良かったな、あいつが休みで。」
「えっ?どうしてですか?」
「考えてみろ、喋り好きのボケ同士が出会ったら何を始めるのか。」
「うあああ・・・。あの方、お姐さん相手にかみ合わない話で延々としゃべくり続けそうです・・・。さっきよりもっとすごいことになっていたんですね。確かにお姐さんが休みで幸いでした。・・・ってどこかでお姐さん聞いてないですよね。」

続きを読む
posted by 銕三郎 at 00:00| 東京 ????| Comment(8) | TrackBack(0) | 珈琲店の常連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月17日

▽改装中の訪問者 〜1から3へ・・・そして空気のように〜

改装前のお話。

5月の最後の1週間に入り、6月1日の新装開店を目指して店は臨時休業に入った。
工事の様子を見に来たマスターは、店の前で大きなバッグを抱えて呆然と立ち尽くしている女性がいることに気づいた。
近づくと見知った常連客の一人である。しばらくご無沙汰であったはずなので、改修工事のことが伝わっていなかったようだった。
マスターは作業員用にと持ってきたポットの珈琲がまだ残っているのを確認すると、彼女に声をかけた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「おい、どうしたんだ?こんなところで。」
「あら〜マスター、お久しぶり。今日はお休み?せっかく来たのに・・・。」
「おお、済まんな。1ヶ月ぐらい店内に貼紙して告知はしておいたんだがな。おまえ、周年記念のときからこっち来てなかっただろう。仕事が忙しかったのか?」
「そうなの。仕事中に近くまで来てはいたんだけど、なかなか時間取れなくって、商店街を通り過ぎるだけしかできなかったの。」
「それじゃあ、娘さんも寂しかったんじゃないか?」
「それは平気、保育園が終われば事務所に連れて来ているし、遠出する時は一緒に連れて行っちゃうから。」
「ちゃんとお母さんはしているんだな。それに免じて許してやるか。改装中だから何にもないが、家で淹れてきた珈琲でも飲むか、せっかくだから。」
「うん、頂く。でも改装っていきなりどうしたの?新人君も入ってお店に慣れてもらうほうがよかったんじゃない?」
「いやな、この店のレイアウトはもともとは1人でやってたんだが基本2人で最適に動かせる店なんだ。逆に3人になったおかげでお互いの動線が気になりだしてな。オーナーも『イメージチェンジも悪くないな』って言ってくれたんで改装に踏み切ることにしたんだ。」
「私の定位置はどうなるの?それから、まだ食べかけだったあのテーブルは?」
「お前の席はカウンターだから少し場所が変わるがちゃんとあるぞ。ただ、あそこに置いてあったクッションやぬいぐるみは処分した。新しい店の色合いには合わないからな。それとテーブル・・・いやバウムだが、固くなっちまってるから細かくしておいた。今度の店内は黒っぽいからな、あんな色のテーブルを残しておけないんだ。」
「なんだ・・・。でも、細かくしたってことはまだあるのよね?」
「ああ、ブランデー・シロップに漬けようかオレンジキュラソーがいいか迷っていたんだ。串に刺して炎で炙ってチョコレートフォンデュにしても美味しく食べられるぞ。」
「うわ〜美味しそうね。今度容器持ってくるから作っておいてね。」
「再オープンして1週間以内に来ないと常連たちの胃袋に消えるからな。」
「うん判った。ちょっと改装中の店内撮らせてもらっていい?」
「埃っぽいぞ。それでよければいいさ。ちょうど職人さんたちも昼休みでいないから邪魔にされることはないだろうからな。」
「ありがとう、マスター。途中って興味があるのよね。普段は完成品しか見れないじゃない。こんな機会でもないとなかなか満足するまでゆっくり見れないもの。」
「本業に生かそうって事か?そうだ、いろいろ廃材が出るから欲しければ取りに来い。いらなければスカウトキャンプの薪になるだけだからな。」
「判った、旦那と検討しておくね。必要なものがあったら連絡する。」
「とりあえず野営地に置かせてもらうことになっているから、取りに来るのはそっちになるからな。」
「大丈夫、場所さえ教えてもらえば勝手に行くから。小さいものならお姉の車で、おっきかったら軽トラがあるから。ありがとう気にかけてくれて。」
「入れ替えるグラスとかカップとかは既に予約済みだから。せめて前の店の思い出ぐらい欲しいかなって思ってな。」
「ううん、お店の内装が変わろうがマスターのお店でしょ?珈琲の香りとマスターの気配りが変わらなければ私は平気よ。ここが私の居場所であればそれでいいの。それじゃあそろそろお暇するわ。珈琲ご馳走様、開店日には必ず来るからね。」
「ああ、待ってるよ。」

続きを読む
posted by 銕三郎 at 00:00| 東京 ????| Comment(14) | TrackBack(0) | 珈琲店の常連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする