2008年07月28日

▽夏休みの朝の一風景

子供たちが夏休みになって一週間が過ぎた。
夏そのものの空は青と白に彩られ、空気には熱気が含まれている。

店を二人に任せられるようになったマスターは休みが増えている。
日曜の朝だが、休みのマスターは遅くまで寝ているようだ。
なかなか起きてこない父親に業を煮やしたのか、辰蔵が寝室に向かう。

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「父さん、起きろ〜!10時半になるよ。」
「んん、そんな時間か、お前たち飯は?」
「僕たちは母が出かける前に起きたからその時食べた。早く起きて!」
「なんだぁ?夕べは原稿書いていて遅かったんだ。休みなんだからゆっくりさせろ。」
「駄目!僕たちにも都合があるの。」
「わかったから、寝室の冷風機を止めないでくれ。布団が汗まみれになる。それより夏休みの宿題はやってるのか?」
「今日は日曜だからお休み。さあ、早く早く。」
「もう、せかすな!あれ?お順は?」
「向こうで待ってる。」
「珈琲はあるのか?食パンはあったかな・・・?」
「大丈夫だって。早くテーブルについて。」
「じゃじゃ〜ん。おとうさん、おはよう。お父さんの朝ごはんは私たちで用意したんだよ。」
「スクランブルエッグに炒めたソーセージ。トーストまで焼いたのか。珈琲はどうした?お前たちが淹れたのか?」
「ごめんね。珈琲はコーヒーメーカーで母が淹れておいてくれたの。でも、他は全部お兄と二人で用意したんだよ。」
「どうした風の吹き回しだ?」
「いいからいいから。味はどう?」
「ソーセージはいい具合だ。だが卵はいまいちだな、火が通り過ぎてる。いつも俺の作ったのを見てるだろう。作った後フライパンに置きっ放しにしたんだな。トーストはバターの塗り具合はちょうどいい。だが、端までちゃんと塗れ。」
「ちぇっ、うまくいったと思ったのにな。」
「まだまだ修行が足りんよ。火を使うってことはそれだけ加減が難しいってことだ。」
「だから、ゆで卵にしようって言ったのに。」
「フライパンでやりたかったの!うるさいよ、お前は。」
「辰蔵、自分の力量を知るのも修行には必要だぞ。だが、できは悪くないぞ、すぐに皿に移していれば問題ないレベルだ。あとは好みの部分になるからな。」
「そうなんだ、よかった。ソーセージとトーストはお順がやったんだよ。」
「お順も火を使う許可が出たのか。もう少し頑張れば母の代わりも務められるかな。・・・もしかして夏休みの課題のためか?」
「違うよ、ほらお順、出さないと。」
「はいお父さん、お誕生日には少し早いけど、プレゼント。」
「ありがとう。でも、もう少し先だぞ。」
「でも、普段はお仕事でしょ。ゆっくりしている時に渡したほうがいいかなって思って。」
「そう、お誕生日の前祝ってことでいいじゃない。」
「ん、ありがとう。でもこのプレゼントは当日開けさせてもらうよ。そうか、それで朝飯の用意をしてくれたのか。」
「うん、いつものお休みの日はしてもらってるんだから、今日ぐらいはってお順と頑張ったんだ。」
「よく頑張ったな。これからは俺も楽できるな。」
「ええ〜っ!今日だけだよ。次のお誕生日はずっと先だからね。」
「ほらほら、早く食べちゃってよ。洗わなきゃならないんだから。母がお洗濯お願いね、だって。」
「結局いつもと変わらずか。しょうがねえな。」

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2008年06月26日

▽西からのスパイ 〜お土産は紅葉饅頭〜

梅雨明けの声が南西の島々で聞こえ始めたが、東京はまだまだ先になりそうで、今日も厚い雲が空を覆っている。
地図とメモをそれぞれの片手に持った二人組みの女性が商店街の角からやってきた。この辺には不案内なのか、電柱に掲示された地名板と手持ちのメモを見比べながら、得心したように店のドアを開け、空いた席に着く。片方の女性は店内を見回し、メニューを隅からすみまで確かめるように眺めている。
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「なあなあ、せっかく東京にでて来たのに、行きたいところってここなん?」
「うん、表参道やお台場じゃなくってごめんね。でも今回の上京の目的のひとつなの。しばらく付き合ってね。」
「ここまで来て何も飲まんで店を出る訳にゃぁいかんからしょうがないやねぇ。何か特別美味しいもんでもあるんかしら?お目当ちゃぁなあに?」
「さあ・・・。以前この店に時々通ってた人が転勤で広島に来てうちの店に来てくれているんだけど、お勧めは聞いてないのよ。」
「じゃあ何しにここまできたん?」
「あんまり味にはこだわらないお客さんなんだけど、この店に来れなくなった事が一番寂しいって何度も言うのよ。それでお店の従業員としては気になっちゃって、どんなお店なんだろう、行ってみたいってなっちゃった。」
「繁盛の秘密でも探りに来たわけ?でも、どう見ても繁盛してるたぁ思えんわよ。」
「ううん・・・あの人は何でこのお店が懐かしいって言うんだろう?珈琲の味にこだわっているのはお店の匂いからわかる。でもあの人は珈琲の味にはうるさくないし、ウエイトレスさんがとりわけ美人って・・・。」
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?お好きな銘柄がおありならおっしゃって下さいね。濃い薄い・酸味・苦味・甘いのがいいなんてご注文でもいいですよ。マスターがお好みに合わせておつくりします。多分ご同業の方でしょ?」
「あら、どうして?(最後の方、聞こえてなかったようね。良かった!)」
「お店の中を眺める視線とか、メニューの見方とかでなんとなく感じるの。間違ってたらごめんなさい。」
「いいえ、間違ってはいないわ。じゃあ正直に言うわね。○○さんって方からこのお店のことを伺って、どんなお店なのか興味がわいたので来てみたの。○○さんがいつも頼んでたものをいただけますか?あなたはどうする?」
「あしゃあカフェオレをお願い。」
「はい、承知いたしました。懐かしいなぁ、○○さん今どちらなんですか?」
「広島です。」
「じゃあわざわざ広島からいらっしゃったんですか?遠いところをどうもありがとうございます。マスター、○○さんのお知り合いだって。オレ1、○○さんのお気に入り1でお願いします。」
「おう、ちょっとだけ待ってもらってくれ。準備するから。」
「あのう・・・○○さんってそんなに有名な方だったんですか?ここの常連と言うほどではないって仰ってたんですけど。」
「そうね、月一の週末ぐらいしか来てなければ常連とは言わないわね。でも、マスターも私もよく覚えている。○○さんのお気に入りは○○さんが完成させてくれたみたいなものだから。」
「そうなんだ・・・どんなものかは聞かずに、期待して待っていていいのね。覚えて帰ってうちのお店でも出してあげれば喜んでもらえるかな?」
「うちのマスターみたいな人でないと必要な器具は持ってないはずよ。それにそちらのお店の様子にもよるから再現は難しいかもね。飲んだ後でマスターに言えば教えてくれるわよ、レシピもコツもね。」
「お待たせ〜・・・いやいや、お待たせしました。始めて来て頂いたお客さんにくだけすぎてもいけないよな。まずはカフェオレからいこうか。」
「ああ〜、ちゃっかりカフェオレポットまで用意している!若いお嬢さんだとすぐかっこいいとこ見せようとするんだから。」
「まあまあ、お前もできるようになりたいだろ。ちゃんと見とけ。」
「はいはい。さっさとやっちゃってくださいね。」
「左右どちらかが先になくなってもかっこ悪いからな。このようにぴったりと終わらせるように。ただしパフォーマンスだと言うことを忘れずに。しかめっ面してやっていてもお客さんは喜んでくれん。」
「はい、って私じゃないですね。ところでマスター、○○さんのお気に入りはどんなアレンジ珈琲ですか?」
「わざわざ広島から来てくれたんだって?ありがとう。簡単に言うとアイリッシュコーヒーだよ。ただちょっとパフォーマンスが加わる。それを再現するには店舗の条件もあるんだ。とりあえず見てみてくれ。耐熱のゴブレットにフレンチローストのコーヒーを7分目まで入れる。アイリッシュ・ミストを入れて火にかけて温めておいた金属の柄杓の中に火を入れる。ゴブレットの口元から注ぎ始め、一気に柄杓を高く引き上げる。」
「おわぁっ、青い炎が滝んように・・・。」
「入れ終わったら小皿に盛ったホイップクリームと一緒にお客様の前に。」
「幻想的ですね。でもわかりました、店側の条件のこと。ボックスごとに照明を調節できないといけないのと性能のいい火災報知機がついてちゃいけないんですね。」
「そうだな。パフォーマンス自体は練習で習得することは可能だが店の条件を変更することは難しい。柄杓はまだあるから持っていってもらっても構わないが、ちゃんとできるまでに随分失敗することになるぞ。」
「私も1ヶ月程前に教わったんだけどまだできないのよ。この前はエプロンを焦がしちゃった。」
「そうですか・・・。でもやらないであきらめたくないんで柄杓はありがたく頂いて帰ります。」
「コツは口で教えられるもんでもないからな。練習するしかないよ。」
「はい、がんばってみます。でもこれが何で○○さんが完成させてくれたことになるんです?」
「このパフォーマンスを教えてくれたのが○○さんなんだ。名古屋出張の時に見かけたようで、お店まで教えてくれたんだ。うちの店で出せるようになってからは連れてきた女性に頼んであげて喜んでもらってたな。」
「○○さんが楽しんでる様子わかりますよ。そうか、○○さんが懐かしんでいるのはこの店の暖かい雰囲気なんですね。専門店だからってマスターが飲み方までを押し付けるんではないし、こだわってみえるコーヒーの味以外の事にはすごくオープン。そして初見のお客様にもこの店に来ていることを楽しんでもらいたいっていうサービス精神。この店の雰囲気の源は、自分が楽しんでいるマスターから出ているんですね。」

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2008年06月17日

▽改装中の訪問者 〜1から3へ・・・そして空気のように〜

改装前のお話。

5月の最後の1週間に入り、6月1日の新装開店を目指して店は臨時休業に入った。
工事の様子を見に来たマスターは、店の前で大きなバッグを抱えて呆然と立ち尽くしている女性がいることに気づいた。
近づくと見知った常連客の一人である。しばらくご無沙汰であったはずなので、改修工事のことが伝わっていなかったようだった。
マスターは作業員用にと持ってきたポットの珈琲がまだ残っているのを確認すると、彼女に声をかけた。

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「おい、どうしたんだ?こんなところで。」
「あら〜マスター、お久しぶり。今日はお休み?せっかく来たのに・・・。」
「おお、済まんな。1ヶ月ぐらい店内に貼紙して告知はしておいたんだがな。おまえ、周年記念のときからこっち来てなかっただろう。仕事が忙しかったのか?」
「そうなの。仕事中に近くまで来てはいたんだけど、なかなか時間取れなくって、商店街を通り過ぎるだけしかできなかったの。」
「それじゃあ、娘さんも寂しかったんじゃないか?」
「それは平気、保育園が終われば事務所に連れて来ているし、遠出する時は一緒に連れて行っちゃうから。」
「ちゃんとお母さんはしているんだな。それに免じて許してやるか。改装中だから何にもないが、家で淹れてきた珈琲でも飲むか、せっかくだから。」
「うん、頂く。でも改装っていきなりどうしたの?新人君も入ってお店に慣れてもらうほうがよかったんじゃない?」
「いやな、この店のレイアウトはもともとは1人でやってたんだが基本2人で最適に動かせる店なんだ。逆に3人になったおかげでお互いの動線が気になりだしてな。オーナーも『イメージチェンジも悪くないな』って言ってくれたんで改装に踏み切ることにしたんだ。」
「私の定位置はどうなるの?それから、まだ食べかけだったあのテーブルは?」
「お前の席はカウンターだから少し場所が変わるがちゃんとあるぞ。ただ、あそこに置いてあったクッションやぬいぐるみは処分した。新しい店の色合いには合わないからな。それとテーブル・・・いやバウムだが、固くなっちまってるから細かくしておいた。今度の店内は黒っぽいからな、あんな色のテーブルを残しておけないんだ。」
「なんだ・・・。でも、細かくしたってことはまだあるのよね?」
「ああ、ブランデー・シロップに漬けようかオレンジキュラソーがいいか迷っていたんだ。串に刺して炎で炙ってチョコレートフォンデュにしても美味しく食べられるぞ。」
「うわ〜美味しそうね。今度容器持ってくるから作っておいてね。」
「再オープンして1週間以内に来ないと常連たちの胃袋に消えるからな。」
「うん判った。ちょっと改装中の店内撮らせてもらっていい?」
「埃っぽいぞ。それでよければいいさ。ちょうど職人さんたちも昼休みでいないから邪魔にされることはないだろうからな。」
「ありがとう、マスター。途中って興味があるのよね。普段は完成品しか見れないじゃない。こんな機会でもないとなかなか満足するまでゆっくり見れないもの。」
「本業に生かそうって事か?そうだ、いろいろ廃材が出るから欲しければ取りに来い。いらなければスカウトキャンプの薪になるだけだからな。」
「判った、旦那と検討しておくね。必要なものがあったら連絡する。」
「とりあえず野営地に置かせてもらうことになっているから、取りに来るのはそっちになるからな。」
「大丈夫、場所さえ教えてもらえば勝手に行くから。小さいものならお姉の車で、おっきかったら軽トラがあるから。ありがとう気にかけてくれて。」
「入れ替えるグラスとかカップとかは既に予約済みだから。せめて前の店の思い出ぐらい欲しいかなって思ってな。」
「ううん、お店の内装が変わろうがマスターのお店でしょ?珈琲の香りとマスターの気配りが変わらなければ私は平気よ。ここが私の居場所であればそれでいいの。それじゃあそろそろお暇するわ。珈琲ご馳走様、開店日には必ず来るからね。」
「ああ、待ってるよ。」

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2008年06月11日

▽梅雨の晴れ間 〜お出かけ日和〜

梅雨入りの声を聞いてから随分たった平日のお昼近く。
外を歩くと雨が降っていなくても、湿気のせいでシャツがしっとりしてくる。
その中を日傘を差して妙齢の女性が店頭を目指して歩んできた。
若奥様がちょっと買い物のついでに・・・といった身軽な装いで進む足取りは軽く、どちらかというと大人の洋猫を思わせる外見からは楽しげな雰囲気が伝わってくる。
店の正面で日傘を閉じ、一息つくと一気に扉を引き開けた。

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「いらっしゃいませ〜。」
「いらっしゃりました〜。いつもおせわになっておりまんにゃわ〜。・・・あれ、マスター、こけてくれへんの?入りだけは『これでつかみはOKや』と思ってネタ繰ってきたのに・・・。」
「あのな〜。ここは東京、普段メールで俺がのってやってるからって、店頭で突然ギャグをかまされてものれるはずないだろう。一応マスターなんだぞこの店の。しかも、来るんなら来るで連絡してから来い。こっちの心構えってものがあるだろう。」
「こないだの注文メールに『近いうちにお邪魔できるかも(ハート)』って備考欄に書いておいてんけど〜。」
「こないだのっておととい来てたメールかよ!自分でとりに来るとは思わなかったんで豆はもう発送しちまったぞ。」
「大丈夫、そんな重いもの私が持って帰るわけないやん。そんなんはうちで○×ちゃんが受け取っておいてくれるもん。」
「それなら受領印欄にはお前のうちの犬の足型が押されているんだな?よく仕込んだもんだ・・・あああ、ついのってしまった、いかんいかん。それじゃあ何か?こっちで何か用事でもあって、そのついでかぁ?でも、わざわざ寄ってくれるとは嬉しいな。」
「ちゃうよ。今朝、娘たちを学校に送り出したら急に私もどっかに行きたくなって、ふらふらっと新幹線に乗ってしまってん。でもさ〜着いたはいいけど何にも予定してへんから、どっかに行く前にちょっとコーヒーでもと思ってここまで来てん。」
「ちょっと待て、新幹線ってのはふらっと乗るもんでもないと思うぞ。ひょっとして子供たちの下校時間までに帰るつもりか?むちゃくちゃな奴だな。それならコーヒー飲むぐらいの時間しか余裕はないだろ?」
「そう思うんやったら、ちゃっちゃと珈琲淹れてよー。まるっきり気が利かへんねんから。遅いことは牛でもできるよ。」
「はいはい、わかりました奥様。いつも送ってるマンデリンでいいんだな。」
「うん。それで、送ってくれた豆の分も会計一緒にしといてね。サービスもよろしく〜。」
「ああ、わかったわかった。いいからもうおとなしく座ってろ。」


「あっ、行っちゃった・・・。おきれいな方なのになんで・・・?本当に台風のような方ですね。新幹線っていったいどこからみえたんですか?」
「現住所は大阪だよ、いつも豆を送っているのは大阪だったはずだ・・・。」
「マスターの珈琲を飲むためだけに大阪から?それもすごいですね。」
「ばか、珈琲じゃないんだよ。お前の顔が見たくてやってきたんだ。新人が入ったって漏らしたら興味津々なメールが返ってきたからな。たぶん悶々と妄想を続けてて我慢しきれなくなったんだな。」
「うそっ!僕、きちんと挨拶もしていませんよ。申し訳ないことをしちゃったなぁ。」
「いいさ、気になるようならまた飛んでくるだろうからな。でも良かったな、あいつが休みで。」
「えっ?どうしてですか?」
「考えてみろ、喋り好きのボケ同士が出会ったら何を始めるのか。」
「うあああ・・・。あの方、お姐さん相手にかみ合わない話で延々としゃべくり続けそうです・・・。さっきよりもっとすごいことになっていたんですね。確かにお姐さんが休みで幸いでした。・・・ってどこかでお姐さん聞いてないですよね。」

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2007年11月19日

▽オーナーからの宿題

とある平日の夜半、閉店も程近い時刻。
店内にはマスター一人が座席に座っている。ウエイトレスはトイレなどを掃除しているのか姿がみえない。
表の扉を開けて常連の女性がそっと入ってくる。
マスターの姿を見つけるがマスターが気付かないのでそっと近寄っていく。
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「箱のサイズに水周りは変えられないって条件かなぁ・・・。だとしたら・・・。」
「マスター、さっきから何をブツブツ言っているんですか?定規や色鉛筆まで広げて、ポスターでも作るんですか?」
「あぁ?おお、いいところへ来たな。珈琲一杯奢るからちょっと相談に乗ってくれ。ただし口の堅いお前だから相談するんだからな。」
「え?良いですよ。いつもお世話になってるんですから珈琲は自分で払いますよ。マスターの相談に乗れるなんてちょっと気分が良いですもんね。」
「それじゃあ、珈琲を淹れてくるんで待っててくれ。」
「なんでしょう?ワクワクしてきますね。」

・・・・・・・・・

「お待たせ、お前が好きだって言ってたヤツでいいな。ほい、メキシカンホット。」
「うわぁ、ありがとうございます。ブレンドでよかったのに・・・それで、相談ってなんです?」
「ああ、オーナーから『お前の理想とする店のデザイン案』を提出するように言われたんだ。」
「ええ〜?!このお店、改装するんですか?」
「し〜!あいつに知られたらみんなにバレて大騒ぎになる。果ては常連全てを巻き込んだお祭り騒ぎになることは目に見えてるから、誰にも言ってないんだ。内緒だぞ。」
「なんだか機密事項に触れるってどきどき感があっていいですね。」
「多分オーナーは『改装』を目指しているのとは違うんだろうと思っているんだ。」
「そうだとすると、オーナーさんの意図はどこにあると思ってらっしゃるんです?」
「端的に言えば俺の器量を測ろうってことだろうと思っている。」
「器量?どういうことです?」
「多分俺が切り盛りできる店のキャパの大きさを見たいんだろ?」
「それとデザイン案とどう結びつくのかしら?」
「俺は現在こうしてこの店を切り盛りしているわけだが、理想的なといわれたときに俺が描く店のサイズで、今のクオリティを維持したままでの限界点を無意識に考えるもんだと思ったんだろうな。またそれによって何を重視して限界値を出してくるのかも見たいんだと思う。」
「ふーん。オーナーさんとしてもマスターの力量を知っておきたいって訳なのね。」
「この店で俺は本当に好きにやらせてもらっている。ほとんど俺の意向でこの店のスタイルはできているって言ってもいい。実際にオーナーからは『地域への貢献』としての講習会の開催指示はあったが、他には何もない。ノルマすらだ。実際月々の売上目標だって、俺が勝手に決めてるんだ。しかも俺都合の臨時休業も自由なんだ。ある意味俺の理想像以上なんだよな。」
「普通に考えても恵まれすぎた職環境よね。そんな状態なのに『理想』って言われてマスターは頭抱えちゃってるのね?」
「ああ、店の規模が大きければ品質に責任が持てなくなるが、上がりは良くなる。現状より小さくすれば経費をペイできなくなる。収支・品質どの面から考えても今のままの規模がいいんだよな。始める前にその点ではオーナーと何度も徹夜して検討したんだ。だから余計に困っているんだよ。」
「マスターはどう思ってるの?重要なのは品質?売り上げ?それとも他にあるの?」
「売り上げじゃないことは確かだな。珈琲の品質の他に何があるんだ?」
「わたし、なんとなくわかってきましたよ、オーナーの意図。多分問題なのはマスターがそれに気付かないふりをしていることじゃないかなぁ?」
「特に売り上げ落ちているんでもないし、かえって増えているはずなんだ。珈琲豆の検査だって欠かさないし、クオリティの意味でも下がっている訳はないはずだ。なのに何で・・・。」
「オーナーさんは今のマスターに満足されていないんじゃないですか?」
「どういうことだ?俺は手を抜くようなことはしてないぞ?」
「そういうことじゃないんです、多分。マスターってこのお店を始める前にオーナーと随分話し合われたんですよね?」
「ああ、俺の珈琲に対する姿勢から店にかける意気込みまで腹を割って話した。何日もかけてな。その思いは今だって変わらない。」
「その『変わらない』って所じゃないですか?オーナーが気にしていらっしゃるのは。」
「だってなあ、変えちゃったらまずいだろう?」
「そうじゃないですよ。この店をここまでにしたのはマスターの最初の頃の理想だったと思います。でも、オーナーとしてはマスターの目標をもっと上に見続けて欲しいんじゃないでしょうか?この店のことだけじゃなく。」
「・・・」
「こんなにマスターを優遇してくださっているのは、この店を維持するためだけじゃないと思います。そのことをマスターに気付いて欲しかったんじゃないですか?マスターにこの店だけで満足して欲しくなかったんだと思いますよ。」
「・・・だがなぁ・・・。」
「抽出法の講座だってマスターに後継者を育てることを気付いて欲しかったんじゃないですか?マスターに小っちゃくまとまって欲しくないんですよ。」
「ここで俺に何ができるってんだ・・・。珈琲を淹れるしか能はないぜ?」
「オーナーはマスターの次の提案を待ってみえますよ。それがこの宿題の答えですって。」
「そうなのか・・・?それならそれではっきり言ってくれればいいのにな。俺はここを動いちゃいかんと思い込んでたから、この店の改装や近所に移転して店の拡大ぐらいしか考えてなかった。やりたいことはいくらもあるが、手を封じられていると思い込んでいたよ。勝手に枠を嵌めてたんだな。うん、ありがとう。相談してみてよかったよ。」
「でも、マスターがいなくなると寂しいですよ。」
「ふん、俺がこの店を離れるはずがないだろう。ここは俺の城だ、誰にも明け渡さないよ。ただ、手助けしてくれるヤツは必要だな。新しい顔ぶれが入ってきても意地悪すんなよ。俺がしっかり鍛えるんだからな。」
「あっ、マスター元気になりましたね。その勢いでお願いしますね。マスターには途方にくれたような顔は似合いませんよ。」

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